深夜二時の、問い
ある学会の夜のことです。気の置けない仲間たちとの議論が、深夜二時まで続きました。話題は行き着くところまで行って、誰かがぽつりと言いました。「Top surgeonって、結局、何なんやろうな」。グラスの氷が溶けきるまで、誰も答えませんでした。
その場にいた全員が、若い頃からその言葉を追いかけてきた人間でした。手術の腕を磨くために、それぞれの流儀で人生を張ってきた連中です。それなのに、誰一人、定義をすっと言えなかった。誰かが「症例数やろ」と言えば、誰かが「いや、あの先生は数こそ少ないが」と返す。誰かが「学会での評価や」と言えば、「評価と腕は別もんや」と誰かが笑う。みんなが目指しているのに、誰も中身を知らない称号。その夜の問いが、しばらく頭から離れませんでした。
今日は、その問いに私が5年かけて出した答えを書きます。
若い頃の私の答え
若い頃の私にとって、答えは明快でした。Top surgeonとは、誰よりも手術が上手い人。難しい症例を治せる人。世界のどこに出しても通用する腕を持つ人です。シンプルで、格好よくて、そして測りやすい。若い野心には、これ以上ない目標でした。
その定義を体現する人たちを、目の前で見てきたのです。札幌で師事した先生たちの手術は、まさに人間の到達点でした。ああなりたい一心で、ガーゼの繊維を縫い、動画をなぞり、海を渡った。取材記事で取り上げていただいたときは、面映ゆさの一方で、あの頃の自分が少し報われた気がしたものです。
あの頃の私の毎日は、分かりやすいものでした。上手い人を見つけては、距離を測る。距離を測っては、練習量を増やす。順位表のある世界は、苦しい代わりに、迷いがありません。登るべき山が見えているうちは、人は消耗しても、混乱はしないのです。
けれど、です。目標に近づくほど、あの定義の輪郭が、逆にぼやけていきました。
その定義が、揺らいだ
揺らぎの理由は、二つありました。
一つは、単純な算数です。「誰よりも上手い」を目指す競争には、終わりがありません。上には、必ず上がいる。仮に頂点に立てたとして、その座は数年で次の世代に譲ることになります。他人との比較を物差しにする限り、この称号は、どこまで行っても心を満たさないのです。
もう一つは、もっと個人的な気づきでした。キャリアの節目に、自分に問いました。私がTop surgeonと呼ばれたいのは、患者さんのためか。それとも、自分の承認欲求のためか——。即答できない自分がいました。称号を追いかける情熱の何割かは、エゴの燃料でできていた。それを認めるのは、少し、痛い。
ただ、いまとなっては、あのエゴを恥じてはいません。若い時期の承認欲求は、質の悪い燃料かもしれませんが、火力は本物です。あの火力がなければ、ガーゼの夜も、渡米も、なかった。問題は、エゴで走り出すことにはありません。エゴのまま走り続けることです。燃料には、乗り換えの時期がある。私の場合、それが5年前の、あの深夜二時でした。
キャリアをtrimestersで考えるようになったのは、ちょうどその頃です。1st trimesterで貯めた技術を、2ndで何のために使うのか。「上手さの証明」のために使う13年は、私の望む人生なのか。
5年かけての、私の答え
結論を急がず、日々の診療のかたわらで、この問いを転がし続けました。答えの形が見え始めたのは、皮肉なことに、順位表から降りざるを得ない出来事を経てからです。持っていたものを数え直したとき、私に残っていたのは、順位ではありませんでした。「救った」という事実の積み重ねだけでした。問い続けて、いま辿り着いている定義は、こうです。
その地域で、「この人がいたから救われた」と言ってもらえる仕事を、手術の領域で積み重ねている人。それがTop surgeonだと、私は思う。
順位の話では、なくなりました。世界ランキングの何位かではなく、その人がそこにいることで、救われる人が実際にいるかどうか。それも、一度きりの華々しい症例ではなしに、時間をかけた積み重ねとして。
順位表から、降りる
「その地域で」という言葉を入れたのには、理由があります。脳卒中は、時間との勝負の病気です。世界一の名医が地球の裏側にいても、目の前で倒れた人は救えません。救うのは、いつも、そこにいる医師です。医療は、届く範囲でしか人を救えない。だからこの称号は、世界地図の上では成立しません。その人が根を張った土地の上でしか、本当には成立しないのだと思います。
この定義のいいところは、目指して奪い合うものではない、という点です。優れた技術を磨き、目の前の患者さんを救い続けていたら、気づけばそこに属してしまっている。そういう種類の場所なのだと思います。称号は結果であって、目的にした瞬間に濁ります。
「濁る」というのは、こういうことです。称号が目的になると、症例の選び方が変わります。実績になる手術を取りに行き、地味な仕事が後回しになる。発信の中身が、患者さんのためから、自分の見え方のためへ、すり替わっていく。どれも少しずつの傾きですが、積もれば、医療の向きが変わってしまう。だからこの称号は、視界の隅に置くくらいが、ちょうどいい。真ん中に置いていいのは、いつも患者さんだけです。
幸せは、自分の評価軸で挑戦し成長し続けることでしか得られない。
日記の中の、一行
あの深夜の問いの後、日記に書いた言葉です。他人と比べる物差しを手放して、自分の評価軸、昨日の自分より、目の前の患者さんを上手に救えたか、に乗り換えたとき、ようやく、追いかけるのをやめて歩き出せた気がします。
自分の評価軸で生きる、というのは、楽になることではありません。むしろ、ごまかしが利かなくなります。他人との比較なら、相手の調子が悪い日に勝てますが、昨日の自分との比較には、休場がない。今日の手術は、昨日より丁寧だったか。今日の説明は、昨日より届いたか。審判を外から内へ移すと、試合は毎日になります。それでも、この試合には、順位表の試合になかったものがある。負けても、腐らないのです。明日、取り返せばいいだけですから。
だから、手渡したい
そして、この定義に立つと、追いかけていた頃には見えなかった、次の景色が見えてきます。
私一人が「救われた」と言われる医師であるより、そう言われる脳神経外科医が、各地に一人ずつ増えていくほうが、救われる人は何倍にもなる。順位を守る発想なら、技術は隠すものです。でも、あの定義に立てば、技術は配るものになる。定義が変わると、行動まで変わるのです。私が磨いた技術は、私一人の手術で使い切るつもりはありません。手の内を全部渡すと決めているのは、そのためです。手術技術は裏切らない。あの確信は、自分を救っただけでなく、「これは手渡せる財産だ」という発見でもありました。
手渡すことは、遠回りに見えて、この仕事のいちばん大きな社会貢献だと考えています。一人の腕で治せるのは、その人が執刀する患者さんだけです。けれど、手渡した技術は、別の土地の術者の手を通って、私が一生会うことのない患者さんの治療にも生きる。優れた術者が一人育てば、その人がこれから救う患者さんの全員に、少しだけ関われたことになるのです。
あなたの町にいる、術者
患者さんへも、一つだけ。医師を探すとき、「有名かどうか」は一つの手がかりに過ぎません。それよりも、あなたの地域で、あなたを最後まで診てくれる、腕の確かな医師を探してください。本当のTop surgeonは、テレビの中ではなく、案外あなたの通える距離にいるものです。あなたの町の病院で、今日も黙々と手術をしている誰かが、その土地にとっての、かけがえのない一人かもしれません。
おわりに — 称号の置きどころ
Top surgeonとは何か。5年前の私なら、腕前の順位表を思い浮かべたでしょう。あの深夜二時の仲間たちも、それぞれの答えを持って、それぞれの土地で働いているはずです。いまの私の答えは、違います。
それは目指して獲る称号というより、患者さんを救い続けた結果として、気づけば立っている場所。呼ばれ方は、どちらでも構いません。呼ぶのは他人で、働くのは自分だからです。
いつか、私がこの土地で積み重ねた仕事の総量が、あの定義に届くのかどうか。それを決めるのは私ではありません。この地域の患者さんたちが、時間をかけて決めることです。
だから私は、順位表のことは忘れて、目の前の一人のことだけを考えます。
