才能という言葉で、片付けないでほしい
手術の上手な外科医を指して、「匠の手」「天性の器用さ」と言うことがあります。褒め言葉として、ありがたく受け取ります。ただ、本音を言えば、少しだけ引っかかります。
才能という言葉は、便利です。そう呼んだ瞬間、努力の中身を見なくて済む。けれど私は、自分の手が生まれつき特別だったとは思っていません。むしろ子どもの頃の私は、野球でもレギュラーの当落線上にいるような、ごく普通の子どもでした。特別だったのは、手そのものより、練習の量と設計です。生まれつきの手で勝負が決まるなら、あの当落線上の野球少年が脳外科医になれた説明が、つかないのです。
今日は、その練習の中身を、具体的に書きます。これから技術を身につけたい若い人と、そして「執刀医の腕」というものの正体を知りたい患者さんに向けて。少し変わった練習方法も出てきますが、全部、実話です。
ガーゼの繊維を、縫う
研修医の頃、私は週末も連休も手術室に潜り込んで、顕微鏡の練習をしていました。脳動脈瘤治療を志すきっかけにもなった、あの日々です。夜の手術室は、静かです。日中の緊張が抜けた部屋で、顕微鏡の灯りだけをつけて、レンズの中の小さな世界に潜っていく。誰に頼まれたわけでもない練習なのに、あの没入の時間が、私は好きでした。
練習台は、人工血管。ただ縫うだけでは終わらせません。手と手が交差できない場合。片手しか入れられない場合。血管が裂けてしまった場合。本番で起こりうるトラブルを一つずつ想定して、その状況をわざと作ってから縫う。どんな場面でも冷静に手が動くようになるまで、繰り返しました。
人生初の、稟議書
ところが、人工血管は研修医には高価な練習台でした。そこで目をつけたのが、無料で手に入るガーゼです。ガーゼは細い繊維が重なってできていて、雑に扱うと、ほつれてしまう。その繊維の一本一本の、ちょうど真ん中に、髪より細い糸を綺麗にかけていく。地味で、気の遠くなる練習です。細かすぎて、隣で見ていた同期に呆れられたこともあります。あるとき、その出費の話を聞いた上司の松澤和人先生が、こう言いました。
病院で買ってあげるから、稟議書を書け。
人生で初めての稟議書は、練習道具のお願いでした。以来、後輩の研修医たちが練習の材料に困らない仕組みができました。いま思えば、あれも「技術は環境が育てる」という教えだったのだと思います。
ガーゼ練習の効能は、器用さだけではありませんでした。あれほど細かいものを長時間縫っていると、集中の持久力がつきます。本番の手術では、数時間、集中を切らせない体力が要ります。指先の練習は、同時に、心の持久走でもありました。
手首を、封じる
練習には、もう一つ流儀がありました。わざと、不利な条件で縫うのです。
あえて手首をひねった角度で。利き手を使わずに。普段より長い鑷子(せっし)で。本番の手術では、理想的な角度で器具を持てる場面ばかりではありません。深い術野で、限られた隙間から、無理な姿勢で操作しなければならない瞬間が、必ず来ます。そのときに手が震えないように、手首を固定せず、どんな不安定な状態でも安定して縫える体を作っておく。
そして、自分に課していたルールが一つ。
今日はここまでやると決めたら、できるまで、家に帰らない。
しつこい性格なのです。けれど、技術の練習においてだけは、このしつこさが、いちばんの味方でした。
この「わざと不利にする」設計には、理屈があります。練習を本番より難しくしておけば、本番が練習より簡単になる。逆に、理想的な条件でしか練習していないと、本番の小さな狂いが、そのまま動揺になります。スポーツ選手が高地でトレーニングをするのと、同じ発想です。私の練習メニューは、いつも「本番でいちばん困る状況」から逆算して組んでありました。
技術は、盗むもの
器具の「持ち方」にも、ずいぶん時間を使いました。鑷子や持針器を、力まかせに握れば、指先は数分で疲れ、細かい震えが出ます。ペンより軽く、しかし決して落とさない持ち方。力を入れる場所と、抜く場所。楽器の運指と同じで、正しい持ち方は、正しい音(=正確な動き)の前提です。幼い頃、精密ドライバーで覚えた手の感覚が、ここで思わぬ形で生きました。
職人の世界がそうであるように、脳神経外科の技術も、手取り足取り教えてはもらえませんでした。
授業料は、時間で払う
朝は普通に出勤し、書類仕事も回診も、オペ以外の仕事をすべてこなす。先輩たちの口癖は「脳外科医の仕事はオペだけじゃない」。診療や回診が完璧にできない医師は、そもそも手術室で患者さんに触れさせてもらえないのです。トップクラスの技術の世界も、入口は雑巾がけからでした。当時は遠回りに感じたその関門の意味が、いまは分かります。手術は、診療全体の一部です。患者さんの全身を診られない医師に、脳だけ触らせるわけにはいかない。雑巾がけは、意地悪ではなく、資格試験だったのです。
その関門を越えて、ようやく手術を手伝いながら「見て、盗む」。札幌での修行時代には、手術動画を何十本も見て、師匠の動きを丸ごとなぞる練習に行き着きました。憧れの手術と自分の手術の間にある距離を、一つずつの動作に分解して、埋めていく。盗むというのは、観察を極めるという意味だったのだと、いまは思います。
手術の助手に入れてもらえる日は、最高の授業日でした。第一助手の位置からは、術者の手元が、動画では映らない角度で見えます。器具を渡す一瞬に、重さの預け方が伝わってくる。術者の呼吸が変わる場面で、難所の位置が分かる。助手の仕事を完璧にこなしながら、同時に、全部を記憶して帰る。夜、その日の手術を頭の中でもう一度最初から再生して、自分ならどう動いたかを重ねてみる。この「一日二回の手術」が、私の日課でした。
脊髄反射になるまで
頭で考えずに手が動く、いわば脊髄反射で手術ができるようになったと感じたのは、医師5年目の頃でした。かつて見上げるばかりだった手術を、同じ時間でこなせるようになっていました。
外来で患者さんに「先生は手先が器用なんですねえ」と言われることがあります。でも、器用に見えているものの正体は、ガーゼの夜と、封じた手首と、数千回の反復です。手術の直前に緊張はしても、手が疑わしくなることはありません。手は、練習した分しか動かない代わりに、練習した分は、必ず動いてくれるからです。
ただ、ここで終わりではありません。以前書いたとおり、手術技術は「維持しよう」では維持できず、高め続けることでやっと維持されるものです。だから私は、いまでも練習をやめていません。新しい器具が出れば、まず自分の手に馴染むまで触り、湖東記念病院の手術場で、仲間と手術をしながら、自分の動きも、まだ分解し続けています。
そして、教える側になったいま、考えていることがあります。私が受けた「見て盗め」の修行は、実り多いものでしたが、時間がかかりすぎる。盗まなくても届くように、技術を言語化して手渡すこと。それが、この修行時代を経た人間の、次の仕事だと思っています。私の修行の詳細は取材記事にも残していますが、隠すつもりは何もありません。手の内は、全部渡します。
おわりに — あなたの手術の、後ろ側
これから技術を身につける若い人には、一つだけ。練習は、量も大事ですが、設計はもっと大事です。漫然と百回縫うより、「今日は深い術野の想定で三十回」のほうが、手は確実に育ちます。自分がいま何を苦手としていて、それを潰すにはどんな条件を作ればいいか。練習メニューを自分で設計できるようになった日から、成長は自走し始めます。
患者さんに、これだけは知っておいてほしいのです。
あなたの手術が「何事もなく」終わるとき、その静けさの後ろには、ガーゼの繊維を縫った夜と、手首を封じた反復と、数え切れない観察が積んであります。手術の上手さとは、本番の閃きではなく、準備の厚みのことです。そしてその厚みは、あなたの主治医が今日までの人生で積んできた、目に見えない履歴書です。
だから、もしあなたの執刀医の手が「匠の手」と呼ばれていたら、その医師の見えない夜の数を、少しだけ想像してみてください。
匠の手は、才能の別名ではありません。
積み重ねた時間の、別名です。
