脳神経外科の道具箱 第18回

私が使うクリップ——選ぶ手元の話|脳神経外科医の道具選択論

私が使うクリップの話を、少し書いてみます。脳動脈瘤クリップとは、血管にできたコブの根元を挟んで血流を遮断する、チタン製の小さな器具です。同じ道具でも、術者によって選び方も掛け方も変わります。脳神経外科医の井上靖章が、十数年、手術場に立って感じてきた「クリップを選ぶ手元」の話を、ありのままにお伝えします。

2026.10.2 読了の目安 約5分 井上靖章

※一般的な情報です。個別の診断・治療に代わるものではありません。

この記事の目次
  1. クリップは、術者の「決断」がそのまま残る道具
  2. 形と種類を、どう使い分けるか
  3. 私がいちばん迷うのは、掛ける「直前」
  4. 十数年で、変わったこと
  5. よくある質問
  6. おわりに

クリップという道具そのものの仕組みは、別の記事(脳動脈瘤クリップとは何か)でくわしく解説しました。この記事は、その解説編ではありません。一人の術者が、この小さな器具とどう向き合ってきたか。そういう、少し個人的な話です。

クリップは、術者の「決断」がそのまま残る道具

脳動脈瘤の治療でクリップを掛けるとき、私はいつも、独特の緊張を覚えます。なぜなら、クリップは一度掛ければ、その人の体に半永久的に残るからです。コイルや薬とちがい、あとから「やっぱり」と気軽に取り替えるものではありません。

だからこそ、クリップには術者のその瞬間の決断が、そのまま形になって残ります。どの向きで、どの深さで、どのクリップを選んだか。その選択の一つひとつが、患者さんのこれからの人生に、静かについてまわる。私はこの道具を握るたびに、その重さを思い出します。

形と種類を、どう使い分けるか

クリップには、たくさんの形と種類があります。ここは解説編と少し重なりますが、私の使い分けの実感を交えて進めます。

もっとも基本になるのが、まっすぐな ストレートクリップ です。素直な形のコブなら、これが一番きれいに閉じます。けれど、脳動脈瘤は素直な形ばかりではありません。奥まった場所にあったり、大事な血管が隣にへばりついていたり。そういうとき、私は先の曲がった カーブ・アングルクリップ に持ち替えます。角度がつくことで、まっすぐでは届かなかった根元に、すっと入っていける。

さらに、コブの根元を、避けたい血管が横切っていることがあります。そこで使うのが、先端に窓のあいた 有窓(ゆうそう)クリップ です。窓に血管を通し、その奥のコブだけを挟む。はじめてこの形を考えた人は、よほど手術場で困ったのだろうな、といつも思います。

そして、長く世界中で使われてきたのが ヤサギルクリップ です。名は、この分野を切りひらいた術者 Yaşargil に由来します。私が駆け出しのころから、その信頼は変わりません。握った瞬間に手になじむ、完成された道具だと感じています。

私がいちばん迷うのは、掛ける「直前」

正直に書くと、私がいちばん迷うのは、クリップを選ぶときではありません。選んだクリップを、まさに掛けようとする、その直前です。顕微鏡の下で、コブの根元が見えている。頭の中では、この一本でいけると分かっている。それでも、指を動かす前に、もう一度だけ立ち止まる瞬間があります。

本当に、この向きでいいか。隣の血管を、巻き込んでいないか。掛ける直前のその数秒に、私は自分の十数年を、全部のせているつもりです。

もし少しでも「甘い」と感じたら、私はためらわずに掛け直します。数分を惜しんで、その人の一生に悔いを残すわけにはいかないからです。この粘りこそが、クリッピングという手術の本質だと、今は思っています。

十数年で、変わったこと

若いころの私は、「うまく掛けること」ばかりを考えていました。速く、正確に、美しく。技術そのものに夢中でした。もちろん、それも大切です。けれど今は、少し違うところを見ている気がします。

今の私が第一に考えるのは、「掛けないという選択も含めて、この人に本当に必要か」ということです。クリッピングという開頭手術と、コイル塞栓術等の血管内治療。その両方を手の内に持っているからこそ、「クリップありき」で考えないようにしています。この動脈瘤に、いちばん公平な治療は何か。そこから逆算して、はじめてクリップを手に取る。

道具の選び方が変わったというより、道具を手に取る前の考え方が変わった。十数年での一番の変化は、たぶんそこにあります。

よくある質問

クリップは一生入れたままですか?

はい。チタン製で体になじみやすく、半永久的にコブの根元を閉じ続けます。ふだんの生活で、その存在を意識することはほとんどありません。詳しくはクリップの解説記事もご覧ください。

クリップにいろいろな形があるのは、なぜですか?

脳動脈瘤の場所・向き・周囲の血管の走り方が、一つとして同じではないからです。まっすぐな形、角度のついた形、窓のあいた形などを、そのコブに合わせて選びます。どれを使うかは、術者が手術中に見極めるのが一般的です。

クリップとコイルは、どちらが良いのですか?

一概にどちらが良いとは言えません。動脈瘤の場所・大きさ・形によって、向き不向きが変わります。両方の選択肢を並べて、その方にとって最善を一緒に考えることが大切です。ご自身の場合は、主治医にご相談ください。

おわりに

クリップは、何十年もほとんど形の変わらない、古くからの道具です。それでも私は、この一本に向き合うたびに、新しく学ぶことがあります。道具は変わらなくても、それを手に取る術者は、変わり続けられる。クリップの箱を開けるたび、そのことを思い直しています。

クリップという道具そのものの仕組み・種類・治療の流れは、脳動脈瘤クリップとは何かでくわしく解説しています。あわせて、血管の中から詰めるコイルとは何か、複雑なコブで血流を作り直す脳のバイパス手術とは何か、止血を支えるバイポーラーとは何かもどうぞ。

参考リンク:日本脳神経外科学会 / 脳動脈瘤(Wikipedia)

開頭手術と血管内治療を駆使する脳神経外科医 井上靖章

井上靖章(いのうえ やすあき)

脳神経外科医・医学博士。日本脳神経外科学会専門医・指導医、日本脳神経血管内治療学会専門医、日本脳卒中学会専門医。京都大学医学部卒業。米国メイヨークリニック留学、ハーバード大学医学部ブリガム&ウィメンズ病院フェローを経て、湖東記念病院 脳神経外科部長。開頭手術と脳血管内治療の両方を自分の手で行う「二刀流」の脳神経外科医。治療方針は、開頭手術・脳血管内治療・経過観察のすべてを並べて示すことを原則としている。

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