正常圧水頭症(特発性正常圧水頭症・iNPH)は、脳にたまり過ぎた髄液が脳を圧迫し、歩行障害・認知機能の低下・排尿障害を引き起こす病気です。そして、手術で改善が見込める数少ない「治せる認知症」のひとつでもあります。正常圧水頭症とは何か、どう見分けるのか。脳神経外科医の井上靖章が、患者さん・ご家族にわかりやすく解説します。
「最近、歩き方が小刻みになった」「もの忘れが増えた」「トイレが近くなった」。ご高齢のご家族に、こうした変化はありませんか。多くの方は「年のせい」「認知症かもしれない」と考えます。けれど、その中に治せる病気が隠れていることがあります。
それが正常圧水頭症です。「治せるかもしれない」を見逃さないために、この記事では正常圧水頭症とは何かを、見分け方を中心に説明していきましょう。
正常圧水頭症とは——髄液が脳を圧迫する病気
そもそも私たちの脳は、髄液(脳脊髄液)という透明な水に浮かんでいます。髄液は脳の中で作られ、流れ、吸収される。この循環が、つねに釣り合っているのが健康な状態です。ところが、その流れがうまくいかなくなると、髄液が頭の中にたまり過ぎてしまいます。行き場を失った水が、少しずつ、少しずつ増えていく。
正常圧水頭症とは、こうしてたまった髄液が、内側から脳をゆっくり圧迫する病気です。このうち、はっきりした原因がないものを特発性正常圧水頭症(iNPH)と呼び、その多くはご高齢の方に起こります。「正常圧」という名前は、髄液の圧力が見かけ上は正常範囲にとどまっていることに由来します。圧力そのものは正常に見えてしまう。だからこそ、見つけにくい病気なのです。
3つの特徴的な症状
では、正常圧水頭症には、どんな症状が出るのか。代表的なものは3つあります。そして、この3つがそろうほど、可能性は高まります。
- 歩行障害:足が上がりにくく、小刻みで、すり足になる。方向転換でふらつく。最初に出やすく、最も気づかれやすい症状
- 認知機能の低下:もの忘れ、反応のにぶさ、意欲の低下。一見、認知症のように見える
- 排尿障害:トイレが近くなる、間に合わない(尿失禁)
この病気は、歩行障害から始まることが多いのが特徴です。だからこそ「歩き方が変わってきた」という変化を、見逃してはいけません。それは体からのサインです。
なぜ「治せる認知症」と呼ばれるのか
認知症の多くは、現在のところ、根本から治すことが難しい病気です。しかし、正常圧水頭症は違います。たまった髄液を逃がす手術によって、症状の改善が見込める。そこが、ほかの認知症と大きく異なる点です。
だからこそ、正常圧水頭症は「治せる認知症」と呼ばれます。逆にいえば、「年のせい」「認知症だから仕方ない」と決めつけてしまうと、治せるはずの病気を見逃すことになりかねません。この病気は、知っておくこと自体に、大きな意味があります。
どうやって見分けるのか:検査の流れ
そこで、正常圧水頭症が疑われたら、次のような検査で確かめていきます。
- MRI・CT:まず画像で、髄液のたまった部屋(脳室)が広がっていないか、特徴的な脳の形がないかを調べる
- タップテスト(髄液排除試験):次に、腰から少量の髄液を抜き、そのあと歩行などの症状が一時的に良くなるかを確かめる
なかでもタップテストは、手術の効果が見込めるかを判断する大切な検査です。髄液を抜いたあと、歩き方がすっと軽くなる。それは、手術で改善する可能性が高いというサインです。
治療:髄液の「迂回路」を作る
検査で手術の効果が見込めるとわかったとき。正常圧水頭症の治療の柱になるのが、シャント手術です。これは、たまり過ぎた髄液を別の場所へ逃がす「迂回路」を作る手術。細い管を体の中に通し、余分な髄液を、吸収されやすいお腹などへ静かに送り続けます。
また、シャントには、脳室から流すVPシャントや、腰から流すLPシャントなどがあります。さらに、流す量は、体の外から調整できるプログラマブルバルブで細かく整える。その方の状態に合わせて、少しずつ最適な流れを探していきます。
「年だから」と、あきらめないでほしい
数ある脳の病気のなかで、私がとりわけ思い入れを持っているのが、実はこの正常圧水頭症です。失われかけた歩く力が戻る。その人らしい暮らしが、静かによみがえる。そういう場面に、私は何度も立ち会ってきました。
「年のせい」で片づけられかけていた人が、髄液を抜いたあと、廊下を自分の足で歩いてくる。あの光景があるから、この病気だけは見逃したくないんです。
いちばん大切なのは、ご家族の気づきです。「最近、歩くのが遅くなった」「もの忘れと一緒に、足元も危なくなった」。そうした小さな変化に気づき、一度きちんと調べること。それだけで、運命が変わることがあります。「もう年だから」と、あきらめないでほしい。あきらめる前の「一度だけ調べてみる」を、どうか選んでほしい。その一度を受け止めることが、この病気と向き合う私の仕事です。
よくある質問
正常圧水頭症は、認知症と何が違うのですか?
アルツハイマー型などの多くの認知症は根本的な治療が難しい一方、正常圧水頭症はシャント手術で症状の改善が見込めます。「歩行障害」が目立つのも特徴です。
手術をすれば、必ず治りますか?
全員が同じように良くなるわけではありません。タップテストなどで効果が見込めるかを確かめてから手術を検討します。歩行障害がいちばん改善しやすいとされています。
気になるときは、何科を受診すればよいですか?
脳神経外科が専門です。歩行・もの忘れ・排尿の変化が気になる場合は、一度ご相談ください。
おわりに
正常圧水頭症とは、たまり過ぎた髄液が脳を圧迫し、歩行・認知・排尿の障害を起こす病気です。そして、手術で改善が見込める「治せる認知症」でもあります。ご家族の「歩き方が変わった」という気づきが、回復への第一歩になります。気になる変化があれば、年齢のせいだと決めつける前に、どうかご相談ください。
治療や検査の詳細については、「脳神経外科の道具箱」の関連記事(シャントとは何か)でも解説しています。VPシャント・LPシャント・タップテスト・プログラマブルバルブなどについては、今後の記事でくわしく取り上げる予定です。
参考リンク:日本脳神経外科学会 / 正常圧水頭症(Wikipedia)
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