脳梗塞の血栓回収=時間との勝負を思わせる、秒針のある時計と細いカテーテルのガイドワイヤーが並ぶ静物

一秒に、三万個

脳梗塞の血栓回収では、術者は何と戦っているのか。この記事では、機械的血栓回収術の一秒一秒に流れている時間の感覚を、書いてみたい。

手術には、いくつもの時間の流れ方がある。何時間もかけて、止まって見えるほどゆっくり進める手術もある。けれど、血栓回収だけは、違う。

始まった瞬間から、頭の中で、秒針が走り出す。

脳の太い血管が、血栓と呼ばれる血のかたまりで、突然詰まる。その先にある脳には、血が届かなくなる。酸素が、止まる。そこから先は、一秒ごとに、脳が失われていく時間だ。

頭を開ける手術なら、難しさの多くは「どう近づくか」にある。けれど血栓回収では、難しさの半分が「どれだけ速くたどり着くか」にある。腕の良し悪しの前に、時間という、もう一人の相手がいる。

カテーテルを握りながら、私はいつも、同じことを考えている。

——間に合うか。

一秒に、三万個

大きな血管が詰まると、再開通するまでのあいだ、毎秒、おびただしい数の脳の細胞が死んでいく、とされている。一秒に、三万個とも言われる。

数字の大きさは、正直、うまく実感できない。それでも、治療室であの画像を見るたびに、私はその数字の重さを、別のかたちで突きつけられる。

詰まった血管の先で、いま、この瞬間も、誰かの言葉が、誰かの右手が、誰かの「その人らしさ」が、少しずつ消えていこうとしている。手術が一分遅れれば、その分だけ、取り返せないものが増える。

搬送されてくる前に撮った画像には、すでに「もう戻らない脳」と「まだ間に合う脳」が、うっすらと分かれて写っていることがある。その「まだ間に合う脳」を一秒でも多く残すために、私たちは時計と競争している。境界線は、こちらの動きが遅れるほど、刻一刻と、助からない側へにじんでいく。

脳梗塞の血栓回収は、だから、時間そのものとの勝負だ。「Time is brain」。時間は、脳だ。私たちの世界には、そういう言葉がある。

救急の連絡が入った瞬間から、私の中の時計は動き出している。搬送の車を待つあいだも、画像を見るあいだも、足の付け根に針を刺すあいだも、ずっと、秒針の音が聞こえている。

速さは、見せ場ではない

こう書くと、血栓回収は「とにかく速ければいい手術」だと思われるかもしれない。

でも、それは少し違う。

急ぐことと、雑になることは、紙一重だ。焦って、カテーテルを乱暴に進めれば、血管そのものを傷つけてしまう。血管が裂ければ、今度は出血で、患者さんを失いかねない。速さを求めるほど、手元はむしろ、静かで正確でなければならない。

血栓をとらえる一手も、力を込めればいいわけではない。強く引けば血管を傷つけ、弱ければ血栓は逃げる。ちょうどよい力と速さで、一回で当てにいく。やり直すほど、秒針は進んでしまうからだ。

留学していた頃、症例数の多い施設で、ある先輩の手技を見たことがある。複雑なはずの機械的血栓回収術を、必要なところだけ、すっと、あっけないほど短い手数で終わらせてしまう。派手なところは、何もない。ただ、無駄が、ひとつもなかった。

「これだけで、ええんやな」。横で見ていて、私はそう思った。

速い術者は、急いでいるのではない。無駄を、削っているのだ。余計な一手、迷いの一手、確認のためだけの一手。そういうものを、ひとつずつ削っていくと、結果として、いちばん速くなる。そして、いちばん安全になる。

速く終えられた日は、気持ちがいい。それは、否定しない。再開通までの時間が縮んでいくと、記録をねらう走者のような高揚が、頭のどこかで立ち上がりかける。けれど、この高揚が、いちばん危ない。速さが目的にすり替わった瞬間、手は、必ずどこかで雑になる。治療を終えるたび、私は自分に確かめる。今日の速さは、誰のためのものだったか。

だから私は、血栓回収のあいだ、心の中で相反する二つの声を、同時に聞いている。「急げ」と、「丁寧に」。この二つを、同じ重さで握っていられるかどうか。それが、この治療のいちばん難しいところだ。

再開通の、その瞬間

血栓回収の山場は、ここからだ。

カテーテルを、詰まった場所まで進める。血栓を、とらえる。そっと、引き抜く。——逃げるな。ちぎれるな。祈りに近い言葉が、胸の内で続く。

うまくいくと、それまで真っ暗だった血管の先に、ふっと血が流れ込むのが、画面に映る。

再開通、という。

その瞬間、私はいつも、細く長く、息を吐く。さっきまで消えかけていた脳に、もう一度、血が——酸素が、届きはじめる。間に合った、と思える、数少ない瞬間だ。

もちろん、いつも間に合うわけではない。再開通できても、失われたものが戻らないこともある。それは、何度経験しても、こたえる。

けれど、間に合った時。麻痺の消えた手で握り返してくれる時、何ごともなかったように帰っていく患者さんを見送る時。あの秒針と戦った時間が、すべて報われる。手術室を出るころになって、私はようやく、シャツが汗で濡れていることに気づく。

以前、ある患者さんが、発症からごく早い時間に運ばれてきたことがあった。着いたときには、もう言葉が出ず、片側がまったく動かなくなっていた。ご家族は、待合で、青い顔をして座っておられた。血栓を回収して再開通できたのは、その数十分後。翌日の回診で、その方は、こちらを見て、ゆっくりと、けれどはっきりと、自分の名前を言った。ご家族が、声を上げて泣いた。私は、特別なことをしたわけじゃない。ただ、間に合っただけだ。——その涙のために、私たちは秒針と戦っている。

その一秒は、あなたの後ろにある

血栓回収について、患者さんとご家族に、どうしても知っておいてほしいことがある。

この治療で取り戻せる脳の量は、私たち術者の腕だけで決まるのではない。それよりずっと手前、「どれだけ早く、病院にたどり着けたか」で、その大半が決まってしまう。

もし、ご家族の顔が片側だけゆがんだり、急にろれつが回らなくなったり、片方の手足に力が入らなくなったら。様子を見ないでほしい。一時間後に良くなることを、期待しないでほしい。その時にはもう、秒針が走り出している。

どうか、一秒でも早く、救急車を呼んでください。

「大げさだったら恥ずかしい」と、ためらわないでほしい。空振りで済むなら、それがいちばんいい。取り返しがつかなくなるのは、いつも、待ってしまったときのほうだ。

私たちが治療室で時間と戦えるのは、いつも、あなたが一秒早く動いてくれた、その後ろからだ。最初の一秒を稼ぐのは、私ではなく、あなたなのだ。

参考リンク:脳卒中(Wikipedia)日本脳神経血管内治療学会

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脳神経外科医 井上靖章

井上靖章(いのうえ やすあき)

脳神経外科医・医学博士。日本脳神経外科学会専門医・指導医、日本脳神経血管内治療学会専門医、日本脳卒中学会専門医。京都大学医学部卒業。米国メイヨークリニックでの研究研修、ハーバード大学医学部ブリガム&ウィメンズ病院フェローを経て、湖東記念病院 脳神経外科部長。開頭手術と脳血管内治療の両方を自分の手で行う「二刀流」の脳神経外科医。治療方針は、開頭手術・脳血管内治療・経過観察のすべてを並べて示すことを原則としている。

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