血管内治療の合併症と向き合う術者を思わせる、冷たい色調の中に一筋だけ赤い糸がまじるカテーテルとコイルの静物

自分の手が、起こしてしまった時

脳血管内治療の合併症と、術者はどう向き合うのか。この記事では、私が手術中に起きた合併症と向き合った経験と、その手術リスクへの考え方を、書いてみたい。

外科医が、夜にいちばん眠れなくなるのは、どんな時か。

病気のせいで、うまくいかなかった時——ではない。いや、それも、こたえる。けれど、もっと深く刺さるのは、別の時だ。

自分の手が、起こしてしまった時。

医療には、「医原性(いげんせい)」という言葉がある。病気そのものではなく、検査や治療が原因で起きてしまった、という意味だ。手術や血管内治療には、どれだけ丁寧にやっても、この医原性の合併症が、ゼロにはならない。

とくに血管内治療は、体の外から、遠く離れた脳の血管を操る治療だ。だからこそ、ほんのわずかな力加減や角度のずれが、思いがけない合併症につながることがある。

これは、その中でも、いちばん書きにくい話だ。

背中が、冷たくなる

ある血管内治療の最中のことだった。

カテーテルを進め、予定の処置を終えようとしていた、その時。画面の中に、本来そこにあってはならないものが、ふっと現れた。

動脈と静脈が、細い近道で、本来つながっていないはずの場所で、つながりはじめていた。治療の操作が引き金になって生まれた、いわば医原性の「瘻(ろう)」だ。放っておけば、出血につながりかねない。

背中を、すっと冷たいものが走った。

——これは、自分が作ってしまった。

その自覚は、ただのトラブルとは、重さがまるで違う。誰のせいにもできない。言い訳の余地が、どこにもない。手術中に味わうたくさんの感情のなかで、これがいちばん、足元が崩れる感覚に近い。

血管内治療は、体への負担が少ない、すぐれた治療だ。けれど、どんなにすぐれた治療にも、裏側には、こういう瞬間が、確かにある。それを知っているからこそ、私は毎回、画面の隅々まで、目を離さない。

血管内治療の合併症の多くは、派手な事故として現れるわけではない。画面の中の、ほんの小さな影や、わずかな血の流れの変化として、静かに立ち上がる。だから、それに気づけるかどうかが、最初の分かれ目になる。気づくのが一秒遅れれば、収束させるのも、その分だけ難しくなっていく。

固まらない、隠さない

そういう時、いちばん怖いのは、合併症そのものではない。

自分の手が、固まってしまうことだ。

「どうしよう」「なぜ起きた」「まずい」。頭の中が、そういう言葉でいっぱいになると、指先が止まる。止まっているあいだも、患者さんの状態は、刻一刻と動いていく。だから私は、自分にこう言い聞かせる。「うろたえるのは、終わってからにせえ」。

その日も、最初の一瞬、頭の芯が白くなりかけた。それでも、画面からは目を離さない。マスクの中で、短く息を整える。いま見えているものは、何か。動脈から静脈への、早すぎる流れ。塞ぐ道具は、この部屋にあるか。ある。手順は、組めるか。組める。なら、あとは動くだけだ。十秒足らずのこの問答が、うろたえの入り込む隙間を、埋めてくれる。

生まれかけた近道を、コイルと塞栓物質で、ひとつずつ、塞いでいく。さっきまで治療をしていたその手で、今度は、自分が作ってしまったものを、丁寧に閉じていく。

幸い、その瘻は、その場で収束できた。患者さんに、後遺症は残らなかった。手術を終えて手袋を外したとき、私は、ふう、と長い息を吐いた。正直、ほっとした、というのが、いちばん近い。

そして、もうひとつ、固く決めていることがある。隠さない、ということだ。

起きたことは、チームにも、記録にも、ご家族にも、正確に伝える。「予定にないことが起きましたが、その場で対処して、収束しました」と。都合の悪いことを、少しでも小さく見せようとした瞬間に、医療は、いちばん危ない方向へ転がりはじめる。

隠した合併症は、次に同じことを防ぐ機会まで、チームから奪ってしまう。だから、どんなに決まりが悪くても、起きたことは、起きたままに共有する。

ゼロにはできない、けれど

ひとつ、はっきり書いておきたいことがある。

血管内治療の合併症をゼロにします、とは、私には言えない。

どんなに腕の良い術者でも、どんなに丁寧にやっても、その確率は、ゼロにはならない。もし「ゼロにできる」と言い切る医師がいたら、それは、嘘か、まだ経験が浅いか、どちらかだ。

では、何が術者を分けるのか。

ひとつは、起きる確率を、限りなく低く保ち続ける、地道な努力。そしてもうひとつは、起きてしまった、その次の一手だ。固まらずに動けるか。隠さずに向き合えるか。その二つこそが、合併症と本当に向き合う、ということなのだ。

確率を低く保つために、私は、治療の前夜に何度も手順を頭の中で通す。当日も、ひとつの操作ごとに、「次に、何が起こりうるか」を、心の中で先回りして確かめる。血管内治療の合併症の多くは、こうした地味な確認の、ほんの隙間から生まれてくる。だから、確認をやめないこと。それ自体が、いちばんの予防になる。

あの日に作ってしまった近道のことを、私はいまも、ときどき思い出す。うまくいった何百件の手術より、ずっと鮮明に。その記憶が、次の治療で、私の手を、ほんの少しだけ慎重にさせてくれる。

忘れないことは、こたえる。けれど、忘れないからこそ、同じ轍を踏まずにいられる。

「何も起きませんでした」と言わない

もし、あなたやご家族が、これから血管内治療や手術を受けるなら、ひとつ、知っておいてほしいことがある。

「絶対に何も起きません」と言い切る医師より、「起きうることと、その時どうするか」まで話してくれる医師のほうを、どうか信じてほしい。

前者は、聞こえはいい。けれど、いざ何かが起きた時に、固まるか、隠すか、しかねない。後者は、あなたを少し不安にさせるかもしれない。けれど、その医師は、もしもの時、いちばん冷静に、あなたを守ろうとする。

私は、あなたに「何も起きませんでした」と報告できる手術を、もちろん目指している。一例ごとに、全力で。

それでも、「ゼロです」とは約束しない。約束できないことを約束するのは、患者さんに対して、誠実ではないからだ。

けれど、もし何かが起きてしまったら——その時こそ、私はあなたから目を離さない。固まらない。隠さない。その場で、できるすべてをする。

それだけは、約束できる。

参考リンク:脳卒中(Wikipedia)日本脳神経外科学会

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脳神経外科医 井上靖章

井上靖章(いのうえ やすあき)

脳神経外科医・医学博士。日本脳神経外科学会専門医・指導医、日本脳神経血管内治療学会専門医、日本脳卒中学会専門医。京都大学医学部卒業。米国メイヨークリニックでの研究研修、ハーバード大学医学部ブリガム&ウィメンズ病院フェローを経て、湖東記念病院 脳神経外科部長。開頭手術と脳血管内治療の両方を自分の手で行う「二刀流」の脳神経外科医。治療方針は、開頭手術・脳血管内治療・経過観察のすべてを並べて示すことを原則としている。

プロフィール・実績の詳細 / 「手術室より」の記事一覧 / X(@yasuaki_neuro)

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