脳の手術の前夜、術者は何をしているのか。この記事では、私が本番前に欠かさない術前シミュレーションと、その奥にある「こわがり」について、書いてみたい。
こんなことを書くと、患者さんを不安にさせてしまうかもしれない。けれど、本当のことだから、書いておきたい。
私は、かなりの小心者だ。
脳神経外科医というと、肝が据わっていて、何が起きても動じない——そんな姿を想像されるかもしれない。残念ながら、私は、その正反対に近い。臆病で、心配性で、本番がこわい。手術の前の晩は、いまでも、少し落ち着かない。
学会で偉そうに話していても、難しい手術の前の夜は、画像を何度も開いては閉じ、また開く。妻には「また始まった」と、笑われている。
ただ、ひとつだけ、言えることがある。その「こわがり」が、私を、ましな術者にしてくれている。
本番に、弱い
子どもの頃から、私は、本番にめっぽう弱かった。
練習ではうまくいくのに、いざ本番になると、お腹が痛くなる。簡単に通るはずの場面で、つまらない失敗をする。「ここぞ」という時に、力が出せない人間だった。
受験でも、部活の試合でも、肝心な場面で、いつも固くなった。実力では勝てるはずの相手に、自分が勝手に転んで負ける。「本番に強い」同級生のことが、心底うらやましかった。けれど、その弱さこそが、結局は、私を、誰よりも準備する人間に変えていった。
負けず嫌いなのに、本番に弱い。これは、なかなかしんどい組み合わせだ。
だから私は、いつからか、こう考えるようになった。本番で実力が出せないのなら、本番までに、出せる実力そのものを、うんと上げておくしかない、と。
人より緊張するぶん、人より準備する。それが、こわがりの私が見つけた、たったひとつの戦い方だった。
才能で勝てないなら、準備の量で並ぶ。並べないなら、追い越すまで積む。泥くさいやり方だけれど、本番に弱い人間には、それしかなかった。本番に強くなろうと念じても、性分は、そう簡単には変わらない。だったら、性分ごと、味方につけるほかない。いまの私の手術の支度は、あの頃の悔しさが、そのまま形を変えたものなのだと思う。
頭の中で、何十回も終える
手術の前、私がいちばん時間をかけているのは、手を動かす練習ではない。頭の中で、その手術を、何度も「終える」ことだ。
これを、術前シミュレーションと呼んでいる。
細かすぎる、と笑われるかもしれない。開頭手術なら、皮膚を切る線にかかる髪の生え方や、頭を固定する器具の圧、最初に刃を入れる角度、指先に返ってくるはずの抵抗まで。血管内治療なら——足の付け根から、どの血管を通って、どの角度でカテーテルを進めるか。どこで抵抗がかかりそうか。デバイスは、どれを、どの順番で使うか。瘤の形を思い浮かべながら、その一手一手を、頭の中で再生していく。
ときには、血管の枝分かれと、進めていく順番を、紙に簡単な図として描き出す。頭の中だけでは、こぼれ落ちてしまうものが、あるからだ。
そして、術前シミュレーションでいちばん時間をかけるのは、「うまくいく筋書き」ではない。「うまくいかない筋書き」のほうだ。
もし、ここで血管が思ったより曲がっていたら。カテーテルが、進みたい方向へ進んでくれなかったら。途中で出血したら。デバイスが、うまく開かなかったら。——そうした「もし」を、ひとつずつ潰していく。それぞれに、第二の手、第三の手を、あらかじめ用意しておく。
本番が始まる頃には、私はもう、頭の中で、その手術を何十回も終えている。だから当日の私がやっているのは、半分は「初めての手術」で、もう半分は「もう何度もやった手術」の、なぞり直しに近い。
「これ、いけるか?」。前の晩、画像を見ながら、私は何度も自分に問う。いける、と頭の中で言い切れるまで、布団に入らない。
こわいまま、手術室に入る
これだけ準備しても、こわさは、消えない。
正直に言えば、消えてほしいとも、思っていない。
こわさは、私の集中を、いちばん高いところに保ってくれる。「大丈夫だろう」と気をゆるめた瞬間に、手は雑になる。だから、適度な恐れは、術者にとって、むしろ味方だ。
若い頃、一度だけ、「この術式は慣れているから」と、心のどこかで気をゆるめたことがある。その日のことは、いまでも、よく覚えている。大事には至らなかったが、ひやりとする場面があった。慣れが、私の注意を、ほんの少しだけ、鈍らせていたのだ。それ以来、「慣れているから大丈夫」という言葉を、私は自分に禁じている。こわさは、その慣れに対する、いちばんの見張り役になってくれる。
何百件やった術式でも、明日の一件の前は、やっぱり、こわい。術前シミュレーションを何十回重ねても、その夜の落ち着かなさは、若い頃と、あまり変わらない。目の前の患者さんは、いつも、初めて出会う一人だ。その人にとっては、人生にただ一度の手術なのだから、こわくて、当たり前なのだ。
「余裕です」と言わない医師
もし、あなたの手術の前に、主治医が「いやあ、こんなの余裕ですよ」と笑っていたら——私なら、ほんの少し、心配になるかもしれない。
もちろん、患者さんを安心させようとして、わざとそう言ってくれているのなら、それは、やさしさだ。
けれど、もし心の底まで「余裕」だとしたら、その医師は、準備のどこかを、省いているのかもしれない。
私の知るかぎり、本当に上手な先輩ほど、手術の前は、こわいくらい静かに集中していた。逆に、いつもへらへらしている人ほど、どこか危なっかしかった。これは、長く手術室にいて、何度も見てきたことだ。だから私は、若い人にも言う。「こわくなくなったら、その時がいちばん危ないよ」と。
私は、あなたの前では、できるだけ落ち着いた顔をしているよう努める。けれど、その裏側では、あなたが思うよりずっと、こわがっている。そして、そのこわさの分だけ、前の晩に、何十回も、あなたの手術を終えてきている。
こわがりの医師を、どうか、信用してやってください。その人はきっと、あなたが眠るずっと前から、あなたの手術を、頭の中で、もう何十回も終えてきた人だから。
参考リンク:脳動脈瘤(Wikipedia) / 日本脳神経外科学会
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