脳動脈瘤の再発で、ほかに打つ手がないと言われた時、術者はどうするのか。この記事では、開頭と血管内を組み合わせて「道をつくった」一例と、その手術リスクへの覚悟を、書いてみたい。
「もう、打つ手がないと言われました」。
外来で、その方は、静かにそう言った。何枚もの紹介状と、分厚い画像のディスクを抱えて。いくつもの病院をまわって、最後に、私のところへ来られていた。
その目には、期待よりも、あきらめのほうが、強くにじんでいた。何度も再発を告げられ、何度も期待しては裏切られてきた人の、静かな目だった。
脳の深いところにある動脈瘤が、何度治療しても、再発を繰り返していた。コイルを詰めても、しばらくすると、また膨らんでくる。かといって、頭を開けて手術するには、場所が悪すぎた。
どの道も、閉じているように見えた。
こういう時、術者は、何を考えているのか。
どの道も、閉じていた
脳動脈瘤の再発は、ときに、術者をいちばん悩ませる。
一度目の治療がうまくいっても、瘤の根元がわずかに残っていると、そこから、また膨らんでくることがある。その方の瘤は、深い場所で、もう何度も、再発を繰り返していた。
脳動脈瘤の再発、という言葉を、患者さんに告げるのは、いつも、つらい。「前の治療は、無駄だったんですか」。そう聞かれて、言葉に詰まったことも、一度や二度ではない。無駄ではない。けれど、それを、どう伝えればいいのか。再発と向き合うというのは、瘤だけでなく、その人の落胆とも向き合う、ということだ。
もう一度コイルを詰める、という手も、限界に近かった。かといって、開頭手術はどうか——その瘤は、脳の奥の、細くて大事な血管(穿通枝)に囲まれた場所にあった。下手に触れば、その血管を傷つけて、患者さんに重い後遺症を残しかねない。
脳血管内治療で、ステントを使って内側から補強する、という道もある。けれど、その瘤までステントを運ぶための「通り道」が、どうしても見つからなかった。
開頭も、血管内も、それぞれ単独では、安全な道がない。
これは、かなり厳しい。画像を前に、しばらく、動けなかった。
「道がないなら、道をつくれ」
その時、頭の中に、ある師の言葉が、ふっと戻ってきた。
「道がないんやったら、自分でつくったらええ」。
若い頃に言われた時は、何を言っているのか、よく分からなかった。道がないから困っているのに、つくれ、とは。
けれど、その時、意味が、ようやく腑に落ちた。
ステントを運ぶ通り道がないのなら、頭を開けて、その通り道そのものを、自分の手でつくればいい。
つまり、こういうことだ。まず開頭手術で、別の血管をつなぎ替えて、新しい血の通り道(バイパス)をつくる。そして、その新しくつくった道を通して、今度は血管内治療で、奥の瘤まで、ステントとコイルを運ぶ。開頭と血管内を、ひとつの作戦として、組み合わせる。
言葉にすると、簡単に聞こえるかもしれない。けれど、これを決めるのは、こわかった。
前例も、ほとんど頼れなかった。似た症例の報告を探しても、この瘤に、この組み合わせで挑んだ話は、見つからない。前例がないということは、成功の保証がないだけでなく、失敗から学ばせてもらう相手も、いないということだ。
新しい道をつくる手術にも、当然、リスクがある。そこまでして運んでも、なお、うまくいく保証はない。何より、私は自分に、何度も問わなければならなかった。本当に、自分にこれができるのか。「できる」と、冷静に言い切れるのか。
「やれそう」では、メスを握ってはいけない。「やれる」と、根拠を持って判断できた時だけ、前に進んでいい。その線引きだけは、私は、何より大事にしている。
二つの世界を、またいで
最終的に、私は、その複合手術を選んだ。ご本人とご家族に、できること、できないこと、危険なことを、時間をかけて説明した上で。
手術は、長くなった。まず開頭して、新しい道をつくる。それから、血管撮影の部屋に移って、その道を通して、奥の瘤を詰めていく。ひとつの体に対して、二つの世界の技術を、続けて使う。
開頭の手を動かしながら、頭の片隅では、次の血管内治療の手順を回している。部屋を移るあいだも、気は、まったく抜けない。そして、支えてくれたのは、麻酔科も、看護師も、放射線技師も含めた、チーム全員だった。一人では、この手術は、最初から成り立たない。長い時間、誰ひとり、集中を切らさずに、ついてきてくれた。手術が終わって、みんなで顔を見合わせた時の、あの静かな達成感は、ひとりでは決して味わえないものだ。
気の抜けない、長い時間だった。
最後の、確認の造影が流れる。あれだけ何度でも膨らみ直してきた瘤が、もう、染まらない。画面のその一角だけが、静かだった。マスクの下で、長い息が、ひとりでに漏れた。ご本人は、大きな後遺症もなく、退院していかれた。
あの時、「道がないなら、つくればいい」という言葉を持っていなかったら。私はきっと、「打つ手はありません」と、その方に告げていた。
「打つ手がない」の、その先
ここまで書くと、「どんな脳動脈瘤でも、あきらめなければ治せる」という話に聞こえるかもしれない。
でも、それは、違う。
道をつくれない時も、確かにある。つくらないほうが、その人のためになる時もある。「手術しない」「触らない」という判断こそが、いちばん勇気のいる正解だった、ということも、私は何度も経験してきた。
道をつくる、という選択も、つくらない、という選択も、結局は、同じ問いから生まれている。「この人にとって、いちばん安全なのは、どれか」。再発を繰り返す瘤を前にしても、私が最後に立ち返るのは、いつも、その一点だ。
だから、「打つ手がない」と言われた時に、いちばん大切なのは、根拠もなく希望にすがることでも、その場ですぐにあきらめることでもない。もう一度、別の角度から、本当に道はないのかを、ていねいに確かめてもらうことだ。別の専門家にセカンドオピニオンを聞いてみる価値が、そこにはある。
そして、もし本当に道がないのなら——その時は、「ない」と正直に言ってくれる医師を、信じてほしい。道をつくる勇気と、道をつくらない勇気は、同じ場所から来ている。
私は、その両方の勇気を、持てる医師でいたい。あなたの脳のために、道をつくる日も、つくらない日も。
参考リンク:脳動脈瘤(Wikipedia) / 日本脳神経外科学会
