脳梗塞の血栓回収は時間との戦いであることを象徴する、夜明けの病院の窓と静かな廊下

脳梗塞の血栓回収、時間の判断| 分岐点

家族が脳梗塞で倒れた。血栓を取り除く治療は、間に合うのか、それとももう遅いのか——。血栓回収は時間との戦いと言われますが、判断は時計の時間だけでは決まりません。脳卒中と脳血管内治療を専門とする脳神経外科医が、何を見て決めているかをお伝えします。

※この記事の患者さんは実在の方ではありません。治療方針がどう決まるかをお伝えするために組み立てた、典型的なケースです。

間に合うのか、もう遅いのか

いつものように名前を呼んでも、目が合わない。片方の口の端がわずかに下がり、握り返す手に、力がこもらない。声をかけるほどに、返ってくるはずの言葉が、来ない——。ご家族にとって、これほど足がすくむ場面はありません。何が起きているのか分からないまま、それでも指は救急車の番号を押している。多くの方は、そうやって病院にたどり着きます。

脳梗塞は、脳の血管が詰まり、その先の脳に血液が届かなくなる病気です。救急の現場で、ご家族が待合室でまず口にされるのは、たいていこの問いです。「詰まった血栓を取り除く治療は、間に合いますか。それとも、もう手遅れでしょうか」。

この「間に合うか」を、多くの方は時計で考えます。何時間経ったか、と。けれど、私が見ているのは、少し違うものです。今日は、詰まりをカテーテルで回収する治療——血栓回収療法を、私が時間とどう向き合いながら判断しているのかをお話しします。ご本人にも、ご家族にも、知っておいてほしい話。

いつ倒れたのか、分からない

救急の現場で繰り返し出会ってきた、典型的な場面をひとつ描きます。

70代の男性です。朝、ご家族が起こしに行くと、右半身が動かず、言葉が出にくくなっていました。前の夜は、いつもどおりでした。つまり、いつ症状が始まったのか、誰にも分からない。眠っている間に起きたのかもしれません。

ご家族は、自分たちを強く責めていました。「もっと早く気づいていれば。もう何時間も経っているかもしれない。手遅れになってしまったのではないか」と。気持ちは、痛いほど分かります。

検査を進めると、脳の太い血管(大血管)が詰まっているようでした。こうした大血管の閉塞は、放っておくと広い範囲の脳が傷みます。一方で、詰まりを取り除けば、症状が大きく戻る可能性もある。だからこそ、「治療できるのか、できないのか」の判断が、その後を大きく左右します。

急いで選ぶ、三つの道

急性期の脳梗塞では、大きく三つの道があります。そして、どれを選べるかは、詰まった場所と、時間と、画像の所見で決まります。

  • 点滴の血栓溶解(t-PA):薬を点滴し、血栓を溶かす。発症からおよそ4.5時間以内が目安
  • 血栓回収療法:足の付け根から管を通し、詰まった血栓をカテーテルで直接回収する。主に大血管の閉塞が対象
  • 保存的治療:救える脳が乏しい場合などは、無理に詰まりを取らず、全身を守る治療に徹する

大切なのは、「時間が過ぎた=もう何もできない」ではないということです。点滴が難しい時間でも、血栓回収という道が残っていることがあります。だから、あきらめないでください。

血栓回収と時間、それぞれの利点と欠点

まず、血栓回収と時間の関係です。早ければ早いほど救える範囲が広い、というのは本当です。けれど、時間だけで線を引くわけではありません。

まず、点滴の血栓溶解(t-PA)です。利点は、すぐに始められること。一方で、発症からおよそ4.5時間以内という枠があり、今回のようにいつ始まったか分からない場合は、その枠を確かめにくいという難しさがあります。

次に、血栓回収です。大血管の詰まりを直接回収できるのが利点で、原則は発症から6時間以内。ただし、近年は条件が合えば、最終健常確認から16時間、さらに24時間まで広がってきました。発症時刻が分からなくても、画像で「まだ救える脳」が残っていれば、適応になりうるのです。以前なら難しいとされた、広い範囲の梗塞でも、救える可能性が検討されるようになっています。

そして、保存的治療。画像で救える脳がほとんど残っていない場合、無理に血管を開くと、かえって出血などで状態が悪くなることがあります。そのときは「取りにいかない」ことが、その人を守る判断になります。こうした治療の説明は、日本脳神経血管内治療学会日本脳卒中学会の情報も参考になります。

私は、時計を見ていなかった

救急の画像が届いた、その最初の数秒のことを、よく覚えています。ご家族は廊下で「何時間経ったんでしょう」と、そればかりを気にしておられた。けれど、暗い画面に向かった私の目が追っていたのは、時刻ではありませんでした。詰まっているのは、どの血管か。そのすぐ外側に、まだ救える脳が、残っているかどうか——探していたのは、それだけです。

血管が詰まっても、その先の脳が、一瞬で全部だめになるわけではありません。中心には、すでに力を失ってしまった部分があります。これをコアと呼びます。けれど、その周りには、血流さえ戻れば、もう一度よみがえるかもしれない部分が、帯のように広がっていることがある。これをペナンブラと呼びます。ペナンブラは、時間とともに、少しずつコアに変わっていく。溶けていく氷のように、外側から失われていく。だから急ぐのです。けれど、裏を返せば、その帯がまだ残っている間は、時計の針がどれだけ進んでいても、まだ間に合う、ということでもあります。

この方の画像には、その帯が残っていました。すでに失われた芯は、まだ小さい。その外を、血流を取り戻せば動き出すかもしれない脳が、確かに囲んでいた。発症時刻が分からないことは、ここでは、決定的な壁になりませんでした。時計ではなく、脳そのものが「まだ間に合う」と、私に教えてくれていたからです。

救える脳が、残っていたか

血栓回収へ踏み切らせたのは、時計ではありませんでした。救える脳と、すでに失われた脳の、バランスです。画像の上で、よみがえりうるペナンブラが、失われたコアより、十分に大きい。この差(私たちはミスマッチと呼びます)が見えたとき、詰まりを回収する意味がある、と判断しました。逆に、すでに広い範囲が失われていれば、私は手を出しません。開いても戻らない脳に、出血の危険だけを上乗せしてしまうことがあるからです。取りにいかないことが、その人を守る。血栓回収を選ばないのも、また判断です。

もう一つ、画面の隅で、私が静かに考えていたことがあります。この方が、それまで、どんな一日を過ごしておられたか、です。ご自分の足で歩き、朝が来れば起き、当たり前の暮らしを営んでおられた。取り戻せるものが、その分だけ大きい。同じ画像でも、その人が歩いてきた時間によって、踏み込み方は変わってきます。

間に合わせるべきか、という別の問い

ためらいが残るのは、いつも逆の場面です。もともと寝たきりに近い方や、全身の状態が厳しい方のとき。画像に救える脳が見えていても、体が、その治療の負担に耐えられるのか。開いて取り戻せる暮らしが、その人にとって、どれだけあるのか。ここは、数字でもガイドラインでも割り切れません。こういうとき私は、待合室のご家族の顔を思い浮かべながら、何度も自問します。「間に合わせること」と「間に合わせるべきかどうか」は、別の問いなのだ、と。あのとき選ばなかった道のことは、今も、ふとした拍子に戻ってきます。

迷ったら、待たずに呼ぶ

脳梗塞の治療に、誰にでも当てはまる、たった一つの正解はありません。点滴の血栓溶解が合う方、血栓回収が合う方、そっと全身を守るほうがよい方。画像と、体の状態で、答えは変わります。急場が過ぎて、その判断やこれから先のことを、別の医師にも聞いてみたくなったら、セカンドオピニオンという道も、遠慮はいりません。

ただ、ひとつだけ、はっきりお伝えしておきたいことがあります。顔の片側がゆがむ。片腕が上がらない。言葉がもつれる。ひとつでも当てはまれば、様子を見ずに、すぐ救急車を呼んでください。早く着くほど、残っている「救える脳」は広いからです。そして、たとえ「いつ始まったのか分からない」としても、どうか、あきらめないでください。時計の針が進んでいても、画像のほうが「まだ間に合う」と教えてくれることがあります。手遅れかどうかは、時計ではなく、行ってみて、脳を見て、はじめて分かる。迷ったときは、待たずに呼ぶ。それが、いちばん確かな一歩です。

よくある質問

発症から時間が経っていても、血栓回収はできますか?

できることがあります。原則は発症から6時間以内ですが、画像で「まだ救える脳」が残っていれば、最終健常確認から16〜24時間まで適応になる場合があります。時間だけでなく画像で判断するため、あきらめずに受診してください。ご自身の場合は医師にご確認ください。

いつ倒れたか分からないのですが、治療の対象になりますか?

なることがあります。発症時刻が不明でも、画像でコア(失われた部分)とペナンブラ(救える部分)のバランスを見て、治療の可否を判断できます。起床時に気づいた脳梗塞でも、適応を検討する道があります。

家族にできることは何ですか?

まず、顔・腕・言葉の異変に気づいたら、すぐ救急車を呼ぶことです。あわせて「最後に普段どおりだった時刻」を覚えておくと、治療の判断に役立ちます。気づくのが遅れたと自分を責める必要はありません。できるだけ早く専門の治療ができる病院へつなぐことが、何よりの助けになります。

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開頭手術と血管内治療の両方を駆使する脳神経外科医 井上靖章

井上靖章(いのうえ やすあき)

脳神経外科医・医学博士。日本脳神経外科学会専門医・指導医、日本脳神経血管内治療学会専門医、日本脳卒中学会専門医。京都大学医学部卒業。米国メイヨークリニックでの研究研修、ハーバード大学医学部ブリガム&ウィメンズ病院フェローを経て、湖東記念病院 脳神経外科部長。開頭手術と脳血管内治療の両方を自分の手で行う「二刀流」の脳神経外科医。治療方針は、開頭手術・脳血管内治療・経過観察のすべてを並べて示すことを原則としている。

プロフィール・実績の詳細 / 「分岐点」の記事一覧 / X(@yasuaki_neuro)

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