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フローダイバーターのような新しい道具は、術者に何をもたらすのか。この記事では、私が留学先で知った「デバイスラグ」と、道具を持ち帰るということについて、書いてみたい。
留学していた頃、ある手術を見て、言葉を失ったことがある。
それまで、私が「これは、なかなか治すのが難しい」と思っていたタイプの脳動脈瘤を、ある新しい道具を使って、驚くほど鮮やかに治してしまう手術だった。
難しい瘤だ、長い勝負になる——モニタの前で、私は勝手に、そう身構えていた。ところが、画面の中で、目の細かい網がすっと開くと、瘤へ流れ込んでいた血流が、ゆっくりと淀んで、静かになっていく。それで、終わりだった。身構えていた私だけが、置いていかれたような気分だった。
そして何より驚いたのは、その治療が、特別なことではなく、ごく当たり前の日常として、繰り返されていたことだ。
当時、その道具は、日本にもすでに入ってはいた。けれど、使える施設と術者は、まだごく限られていた。厳しい条件のもとで、扱える人を慎重に絞っている段階だったのだ。
海の向こうでは、当たり前。こちらでは、まだ、ごく一部の人にしか届かない。その差に、私は、静かに打ちのめされた。
医療の「時差」と、道具の話だ。
海の向こうの、当たり前
医療の世界には、「デバイスラグ」という言葉がある。
新しい治療の道具が、ある国で使われはじめてから、別の国で同じように使えるようになるまでには、しばしば、何年もの隔たりがある。承認の時期も、そのあとの広まり方も、国によって、まるで違う。
脳血管内治療は、とくに、この差が表れやすい領域だ。たとえば、フローダイバーターという道具がある。
これは、動脈瘤の根元の親血管に、専用の細かい網目のステントを置いて、瘤の中へ流れ込む血流を、ゆっくりと減らしていく道具だ。コイルだけでは詰めきれなかった、首の広い大きな瘤や、難しい場所の瘤を、治せるようにしてくれた。瘤の中にすっぽりと収める、WEBという球状の道具もある。
こうした道具が広まるたびに、それまで「治すのが難しい」とされてきた瘤の、いくつかが、治せるものへと変わっていく。
留学先では、フローダイバーターも、WEBも、もう当たり前のように、広く使われていた。同じ道具が、海のこちらと向こうで、まるで違う日常の中にあった。
持ち帰る、ということ
新しい道具を、ただ「すごい」と眺めているだけなら、それは、ただの見物客だ。
留学の本当の意味は、最新の道具を見ることではない。症例数の多い環境で、その道具を、自分の手で確かに扱えるようになって、日本の、目の前の患者さんのところまで、持ち帰ることだ。
日本でその道具を使うには、施設にも、術者にも、厳しい条件が課せられている。だからこそ、その条件を満たせるだけの経験を、数多く積める場所で、積んでおかなければならなかった。
だから私は、その道具の治験を手がけている先生に頼み込んで、使い方を、しつこく教わった。どういう時に向いていて、どういう時に向かないか。どこに落とし穴があるか。一例でも多く、その手術に入れてもらった。
「これ、日本でも、もっと広く届けられたら、どれだけの人が救えるやろう」。そう思うと、いてもたっても、いられなかった。
持ち帰った技術が、いつか、日本のどこかの、まだ顔も知らない誰かに届く。留学とは、そのための時間だったのだと、いまは思う。
日本に戻って、その道具を初めて自分の手で使った日のことは、いまでも、よく覚えている。海の向こうで何度も見て、頭の中で何百回となぞった手技を、今度は、日本の患者さんのために動かす。怖くなかった、と言えば嘘になる。それでも、手は、震えなかった。震えないだけの場数を、海の向こうで踏んできたつもりだった。あの一例が無事に終わった時——留学の日々が、ようやく、ひとつの形になった気がした。
新しさは、目的ではない
ただ、ここでひとつ、立ち止まっておきたい。
以前、私は「道具に頼らない医師でありたい」と書いたことがある。今日の話は、その、ちょうど裏側にあたる。
新しい道具は、救える人を増やしてくれる。それは、間違いない。けれど、「新しいから使う」「最新だから勧める」というのは、順番が、逆だ。
道具は、目的ではない。目の前の患者さんにとって、それがいちばん安全で、いちばん良い、と判断できた時に、はじめて使うものだ。フローダイバーターも、WEBも、コイルも、クリップも、その点では、まったく同じだ。新しさは、選ぶ理由の、いちばん上には来ない。
新しい道具が広まりはじめた頃は、誰もが、つい使いたくなる。私自身、その高揚を、知らないわけではない。けれど、その高揚に流されて、本当はコイルで十分な瘤に、わざわざ新しいデバイスを使ってしまう。そういう誘惑も、確かにあるのだ。
新しい道具を使いこなす、というのは、あえて使わない判断まで含めての話だ。向かない瘤に無理に使えば、新しい道具は、そのまま新しい危険になる。使い方と、使わない判断。私は、その両方を、同じ手に持っていたい。
それでも、海を見にいく
もし、あなたが、何年か前に「治すのが難しい」と言われた脳動脈瘤を抱えているなら——いま、もう一度、聞いてみる価値が、あるかもしれない。
フローダイバーターやWEBのような道具は、年々、扱える施設も術者も、広がってきている。数年前には届きにくかった治療が、いまは、あなたの手の届くところまで、来ているかもしれない。数年の「時差」は、それくらい、大きい。
私のところにも、そうやって、何年も抱えてきた瘤を、ようやく治せた、という方が、何人もいらっしゃる。あの時、海の向こうで歯がゆい思いをしたことが、いまになって、その人たちに、届いている。
新しい道具を勧められたら、なぜ自分に合うのかを、聞いてみてほしい。利点だけでなく、欠点も、ほかの治療との違いも。納得して選べて、はじめて、その道具は本当にあなたに届いたことになる。
私は、これからも、海の向こうへ、新しい道具を見にいく。最新を追いかけるためではない。いつか、私の前に座る誰かに、「もう、打つ手はありますよ」と言うために。
参考リンク:脳動脈瘤(Wikipedia) / 日本脳神経血管内治療学会
