手術室より 第20回

言葉のいらない、部屋

2026.10.11 読了の目安 約6分 井上靖章
この記事の目次
  1. 一言が、手を止める
  2. 気配で、わかる
  3. ひとりで治す手術は、ない
  4. 声のない部屋で

カテーテル治療の現場で、術者のほかに、誰が手術を支えているのか。この記事では、カテーテル室の「言葉のいらない」チームについて、書いてみたい。

手術でいちばん集中している場面で、ふっと、手のひらに次の道具が載っていることがある。

私は、何も言っていない。「これを取って」とも、「あれを出して」とも。

それでも、ちょうど必要なものが、すっと差し出される。

カテーテル室は、外から見ると、静かで、淡々として見えるかもしれない。大きな声も、はりつめた号令も、あまりない。けれど、その静けさの中で、たくさんの手が、絶え間なく、細やかに動いている。声がないのは、何も起きていないからではない。むしろ、いちばん多くのことが、静かに起きている時間なのだ。

カテーテル治療の現場には、そういう、言葉のいらない瞬間がある。

一言が、手を止める

手術中、私は、ときどき、スタッフにこうお願いすることがある。

「合図するまで、緊急事態以外は声をかけないでください」。

冷たく聞こえるかもしれない。でも、これには、理由がある。

いちばん繊細な場面——コンマ何ミリの単位で、カテーテルやデバイスを動かしている時。その時に、たとえ善意の一言でも、横から声がかかると、手が、ほんのわずかに、止まる。集中の糸が、一瞬、たわむ。

若い頃、私は、この「わずか」を、甘く見ていた。声をかけられても平気な顔で続けられる自分を、どこかで誇ってさえいた。けれど、ある時、いちばん緊張する場面で話しかけられて、手元が、ほんの少し、ぶれた。幸い、何ごともなかった。でも、あの時の冷たい汗を、私は、いまも忘れていない。それ以来、見栄を張るのをやめて、素直に「集中させてください」と頼めるようになった。

その「わずか」が、カテーテル治療では、大きい。だから私は、いちばん大事なところでは、部屋を、静かにしてもらう。

けれど、静かにする、というのは、誰も何もしない、という意味ではない。むしろ、逆だ。

気配で、わかる

長く一緒にやっていると、チームは、私が言葉にする前に、動きはじめる。

私の視線が、画面のどこを追っているか。肩に、どれくらい力が入っているか。呼吸が、浅くなっていないか。——そういう、声にならないものを、彼らは読んでいる。

器械を出してくれる助手の先生や看護師は、私の手が次に何を欲しがるかを、先回りして、用意してくれる。画像を映してくれる診療放射線技師は、私が「もう少し、こっちから見たい」と思った角度へ、言う前に、装置を動かしている。麻酔科の先生は、患者さんの状態の、ほんの小さな変化を、静かに教えてくれる。

言葉にすれば、ほんの数秒のやりとりだ。けれど、カテーテル治療は、その数秒の積み重ねでできている。先回りの一手が重なるたびに、道具を待つ数秒が、ひとつずつ消えていく。手術が滞らずに進めば、そのぶん、患者さんの体にかかる負担も軽くなる。誰かの気配りが、巡り巡って、患者さんを守っている。

カテーテル室の全体が、ひとつの生き物のように、声もなく、動いている。

この「無言の呼吸」が合った時の手術は、不思議なほど、なめらかに進む。道具をいちいち口で頼まずにすむぶん、私は、目の前の手技だけを見ていられる。

これは、一日二日でできるものではない。同じ人たちと、何百件と、場数を踏んで、少しずつ育っていく。言葉のいらない関係は、たくさんの言葉を交わしてきた、その先に、ようやく生まれる。

言葉の壁の、向こうでも

もっとも、言葉が、あまり頼りにならない部屋も、あった。ある国で、働いていた頃のことだ。現地の言葉に不慣れな私は、細かな注文を、思うように伝えられなかった。それでも、いくつもの手術を一緒に越えるうちに、視線と気配だけで、道具は、必要な時に、手のひらに載るようになった。言葉の壁を、信頼が埋めていく。「通じ合う」ということの、いちばん深いところを、私はあの部屋で見た。

若い先生に、伝えていることがある。腕を磨くのと同じ熱心さで、「手が伸びるより先に、道具を出してもらえる関係」を育てなさい、と。

ひとりで治す手術は、ない

患者さんからは、たぶん、こう見えている。「井上先生が、手術をしてくれた」。

でも、本当のことを言えば、それは、正確ではない。

カテーテル治療は、私ひとりの手では、一ミリも前に進まない。器械を出す人、画像を出す人、麻酔をかける人、機器を支える人——その全員の手が、同時に動いて、はじめて成り立つ。

「この人らがおらんかったら、私は、何にもでけへん」。手術が終わるたびに、私は、心の底から、そう思う。

それに、チームは、私の「見落とし」を拾ってくれる存在でもある。以前、私が気づかずに進もうとした時、ベテランの看護師が、小さな声で「先生、さっきと数値が違います」と教えてくれたことがある。あの一言がなかったら、と思うと、いまでも、背筋が伸びる。カテーテル治療の安全は、術者ひとりの注意力だけでは、守りきれない。声を控えてもらうのは、あくまで集中のためだ。だからこそ、異変に気づいた人が、立場に関係なくすぐに声を上げられる部屋にしておく。

そして、これは、こわい話でもある。「自分ひとりの力で治している」と思い込んだ瞬間に、術者は、いちばん危ない場所に立つ。周りが見えなくなり、感謝を忘れ、気配りが消える。その傲りは、やがて、患者さんに届いてしまう。

だから私は、どんなにうまくいった日も、自分に言い聞かせる。これは、私が治したのではない。この部屋の、みんなで、治したのだ、と。

声のない部屋で

もし、あなたが、これからカテーテル治療や手術を受けるなら、ひとつ、知っておいてほしいことがある。

あなたが眠っているあいだ、その部屋には、何人もの人がいる。麻酔科医、看護師、診療放射線技師、臨床工学技士。みんな、声もほとんど立てずに、あなたのために、手を動かしている。

あなたは、ひとりの医師に、命をあずけているのではない。声のない、静かな部屋ぜんぶに、あずけている。それは、心細いことではない。ひとりが見落としかけた変化にも、部屋の誰かが気づいてくれるのだから。

そして、手術が無事に終わった時。その安堵は、私ひとりのものではない。器械を片づけながら、誰かが、ふっと息を吐く。画面を消しながら、誰かが、小さくうなずく。その部屋にいた全員で、同じ「よかった」を、声もなく、分け合う。あの瞬間が、私は、好きだ。どんな治療の達成感とも少し違う、あたたかい時間だ。

私は、その部屋の真ん中で、手を動かしているにすぎない。声のない、たくさんの手に、支えられながら。

参考リンク:脳動脈瘤(Wikipedia) / 日本脳神経外科学会

脳神経外科医 井上靖章

井上靖章(いのうえ やすあき)

脳神経外科医・医学博士。日本脳神経外科学会専門医・指導医、日本脳神経血管内治療学会専門医、日本脳卒中学会専門医。京都大学医学部卒業。米国メイヨークリニック留学、ハーバード大学医学部ブリガム&ウィメンズ病院フェローを経て、湖東記念病院 脳神経外科部長。開頭手術と脳血管内治療の両方を自分の手で行う「二刀流」の脳神経外科医。治療方針は、開頭手術・脳血管内治療・経過観察のすべてを並べて示すことを原則としている。

プロフィール・実績の詳細 / 「手術室より」の記事一覧 / X(@yasuaki_neuro)

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