脳動脈瘤のクリッピングで術者が感じる「愛おしさ」を思わせる、指先でそっと支える小さな透明な球体

動脈瘤を、愛おしいと感じる

脳動脈瘤クリッピングやバイパス・トラッピング等の高度な開頭手術で、術者は動脈瘤をどう見ているのか。この記事では、動脈瘤を、クリッピング等の開頭手術からも、コイル塞栓術・フローダイバーター等の脳血管内治療からも治してきた脳神経外科医として、私が動脈瘤に抱いている「愛おしさ」と手術リスクへの向き合い方を、書いてみたい。

これは、同業の医師にも、あまり言ってこなかった話だ。

脳動脈瘤のクリッピングを、私は、何百件と続けてきた。それでも、患者さんの動脈瘤を「敵」だと思ったことが、あまりない。

手術の前夜、術前画像で脳動脈瘤の形を眺めていると、何時間でも見ていられる気がする。形、向き、ふくらみ方、首の長さ。ひとつひとつ違って、ひとつひとつに、その人の血管の歴史がある。

正直、可愛い、とさえ思う時がある。

患者さんに「先生、私の動脈瘤を可愛いと言わないでください」と仰られるかもしれない。けれど、その感情は、たぶん、私自身を救っている。手術室で動脈瘤を「敵」として叩き潰そうとした瞬間に、何かが間違える。私は、そう感じてきた。

患者さん自身の血管が、ふくらんだもの

脳動脈瘤というのは、患者さんの脳の血管の壁が、長い年月をかけて、わずかにふくらんでできた構造物だ。

別のところから飛んできた異物ではない。患者さん自身の血管の、一部だ。

その血管は、おそらく、患者さんが生まれる前から、お母さんのお腹の中で、少しずつ作られた。生まれてからの何十年か、患者さんが生きてきた間、ずっと脳に酸素を運び続けてきた血管だ。

その血管が、たまたまどこか一点で薄くなり、心臓の拍動を毎日毎秒受けて、少しずつ、少しずつふくらんで——いまの形になった。

それは、患者さんの体の一部であり、患者さんが生きてきた時間の、ひとつの結晶のようなものだ。

そう思いながら、私は手術室で、ふくらみの周りを少しずつ起こしていく。

何時間もかけて、丁寧に、丁寧に、剥がしていく。軟膜を破らないように。周りの血管を傷つけないように。視野は、少しずつ広がっていく。

すると、ある瞬間、動脈瘤の全体が、視野の中で「立ち上がってくる」ことがある。

その瞬間は、いつも、なんとも言えない感じがする。ふくらみが、まるで生き物のように、そこにある。

——全部起こしたら、可愛い。心の中で、ふっとそう思う。

可愛い、なんて言葉、外科医が使うのはおかしいかもしれない。でも、その感覚は、何年経っても変わらない。

愛おしさと、一瞬の決断と

そして、私はそのふくらみの首に、クリップをかける。

クリップは、洗濯ばさみのような形をしていて、片手で開いて、動脈瘤の首の部分にかけ、ぱちんと閉じる。ばね仕掛けのブレードが、狙った一点に、かちりと収まる。その手応えを、私はいつも、指先で確かめている。

その一瞬で、動脈瘤の中に流れていた血液は、もう入らなくなる。それまで脈打っていたふくらみは、拍動をひとつ、ふたつと失って、急に静かになる。

何時間も愛おしいと感じながら起こしてきたその構造を、私は最後に、自分の手で、静かに止める。

それは、外科医という仕事の中で、いちばん深く矛盾している瞬間だと思う。

愛おしいと感じる。けれど、終わらせる。

そうしなければ、その動脈瘤は、いつかどこかで破裂して、患者さんの命を奪うかもしれない。だから、私は止める。決断する。一瞬で。

愛おしさと、一瞬の決断と。この両方が、同居しているのが、脳動脈瘤のクリッピングという仕事だ。

そして、これは経験から学んだことなのだが、動脈瘤を「敵」「悪者」と思った瞬間、手の動きが少しずつ荒くなる。視野が狭くなる。「早く倒したい」という焦りが、指先に乗ってくる。すると、周りの血管を引っかけたり、軟膜を破ったり、出血を引き起こしたりする。

逆に、「これは患者さんの体の一部だ」「できるだけ丁寧に扱おう」と思っている時の方が、不思議と、手術全体が滑らかに進む。

外科医は、剣を振るう人ではない。むしろ、繊細な構造物を、両手で守りながら、最後の一瞬だけ手を下す人だと、私は思っている。

ひとつとして、同じものはない

何百件のクリッピングを経ても、ひとつひとつの動脈瘤には、初めて会うような感覚で向き合っている。

最初は同じに見える動脈瘤も、本当は、ひとつとして同じものはない。形、大きさ、ふくらみ方、首の細さ、周りの血管との関係。そのすべてが、その患者さんの人生と一緒に作られてきた、固有のものだ。

若い後輩に手術を教える時、私は最近、こんなことを言うようになった。

「動脈瘤を、可愛いと思えるようになると、手術がうまくなるよ」

彼らは、最初は怪訝な顔をする。けれど、ある時、ふと「先生の言ってた意味、分かりました」と言う日が来る。

それはきっと、その日、動脈瘤を「敵」ではなく、患者さんの一部として見られるようになった日なのだ。

この感覚は、教えることのいちばん難しい部分でもある。技術はある程度、手で伝えられる。けれど、「動脈瘤に対する姿勢」は、言葉でしか渡せない。だから私は、飽きずに、何度でも繰り返す。「可愛い、と思えるようになるよ」と。

あなたの脳に、手を伸ばすとき

もし、あなたが脳動脈瘤のクリッピング手術を控えていらっしゃるなら、ひとつだけ、知っておいていただきたいことがある。

私は、あなたの動脈瘤を、「叩き潰す対象」とは思っていない。

それは、あなたの血管が、あなたの人生の中で、少しずつ作ってきたものだ。あなた自身の一部だ。だから、私は手術の前夜、画像を眺めながら、その形を、いつも敬意を持って見つめている。

手術室では、何時間もかけて、傷つけないように、傷つけないように、起こしていく。そして最後の一瞬だけ、私は決断する。

愛おしさと、一瞬の決断と。

その両方を持って、私はあなたの脳に、手を伸ばす。

そして、術後にCTを撮って、瘤が静かに消えているのを見るとき——私はいつも、少しだけ静かな気持ちになる。あなたの体の一部として、そこにあったものが、もうそこにはいない。その不思議な感覚は、何度経験しても、慣れることがない。

それが、あなたの脳に手を伸ばすときの、私の姿勢だ。

参考リンク:脳動脈瘤(Wikipedia)日本脳神経外科学会

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脳神経外科医 井上靖章

井上靖章(いのうえ やすあき)

脳神経外科医・医学博士。日本脳神経外科学会専門医・指導医、日本脳神経血管内治療学会専門医、日本脳卒中学会専門医。京都大学医学部卒業。米国メイヨークリニックでの研究研修、ハーバード大学医学部ブリガム&ウィメンズ病院フェローを経て、湖東記念病院 脳神経外科部長。開頭手術と脳血管内治療の両方を自分の手で行う「二刀流」の脳神経外科医。治療方針は、開頭手術・脳血管内治療・経過観察のすべてを並べて示すことを原則としている。

プロフィール・実績の詳細 / 「手術室より」の記事一覧 / X(@yasuaki_neuro)

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