この春、人生で初めて、旅行以外で二週間まるごと家にいました。家族と過ごす時間が教えてくれたのは、意外なことに、医師としての私の足りなさでした。脳神経外科医 井上靖章が38歳の気づきを綴る、連載「脳神経外科医 井上靖章 手記」第16回。
人生で初めての、二週間
この春の大型連休、私は二週間、家にいました。
連休といっても、暦どおりなら数日です。環境の変わり目がたまたま重なって、有給という制度を、私は医師人生で初めて、まとまった形で使いました。使い方が分からず、初日は落ち着かなかったくらいです。
書いてみると、なんでもない一文です。けれど私にとっては、たぶん人生で初めてのことでした。旅行で出かけるわけでもなく、ただ、家に、いる。仕事を離れた二週間。医師になってからの13年半で、そんな時間は一度もありませんでした。
手術件数でも肩書きでもない、その二週間が私に教えてくれたことを、今日は書きます。手術の話は出てきません。メスも顕微鏡も出てこない、ただの家の話です。でも、いま振り返ると、これは間違いなく、私の医師人生の話でもあります。
上の空の父親
正直に書きます。それまでの私は、家にいても、家にいませんでした。
体はリビングにあっても、目はiPhoneの画面にある。夜中も休日も関係なく入ってくる連絡に応え、頭の中では病棟のことを考えている。急に手術に呼ばれて出ていき、出張で家を空ける。部長という立場でしたから、それが当然だと思っていたし、自分としては精一杯やっているつもりでした。
症状を挙げれば、こうです。子どもに絵本を読みながら、ページをめくる指だけが動いていて、頭は明日の手術の計画を立てている。「パパ、聞いてる?」に、「聞いてるよ」と反射で答えて、実は一つも聞いていない。家族との夕食の最中に画面を確認して、妻の話が終わっていたことに、顔を上げてから気づく。思い当たる働き手の方は、この国に、ずいぶん多いのではないでしょうか。
精一杯やっているつもりだった。それが、あとから振り返ったときの、偽らざる実態です。
念のために言えば、家族を大事に思う気持ちが薄かったのではありません。思いなら、人並み以上にあったはずです。ただ、思いと、向き合う時間の質は、別の勘定でした。
変化は、外からやって来た
変化は、環境が変わって起きました。働き方が変わり、iPhoneを確認する時間が激減して、家にいる時間そのものが増えた。すると、家にいる時間のうち、100%家族に向き合えている時間が、圧倒的に増えました。努めてそうしていたわけではありません。自然と、そうなっていました。
二週間、特別なことは何もしていません。朝ごはんを一緒に食べて、公園に行って、買い物について行って、また食べて、寝かしつける。それだけです。ただ、その「それだけ」を、途中で携帯を見ずに、最後までやる。予定のない一日を、予定のないまま終える。たったそれだけのことが、私には新しい経験でした。
子どもたちの、変化
いちばん変わったのは、私ではなく、子どもたちでした。娘が癇癪を起こすことが、ほとんどなくなったのです。いつもご機嫌で、「パパと遊ぶ」と指名してくれることが増えた。子どもは、大人の「上の空」を、言葉より先に肌で見抜くのだと思います。妻の表情も、やわらかくなった気がしました。そこまで見えて、ようやく気づきました。そもそも今までの私は、家族の笑顔を感じられるくらい、家族に向き合えていたのだろうか、と。
医師の家庭には、静かな職業病があります。家族が、「いないこと」に慣れてしまうのです。呼び出しにも、遅い帰りにも、文句を言わなくなる。一見ありがたいこの「慣れ」は、裏を返せば、期待の店じまいです。あの二週間、娘の癇癪が消えたのは、私が急に良い父親になったからではありません。期待していい相手なのだと、家族が思い出してくれたから。そう考えるほうが、たぶん正確です。
太平洋の向こうの兄と
その二週間の真ん中に、もう一つ、忘れがたい朝がありました。サンフランシスコに住む兄の家族との、ビデオ通話です。画面越しに近況を報告し合いながら、ふと、おかしくなりました。
かつてアメリカ永住を夢見て、米国の医師免許のために10年間毎日英語を勉強し続けたのは、私のほうです。実際に渡米もした。その私がいま日本で暮らし、当時「海外にはまったく興味がない」と言っていた兄が、アメリカに根を下ろしている。画面の向こうで姪たちが英語で笑い、こちらでは娘が日本語ではしゃぐ。人生の配役が、若い頃の台本と、きれいに入れ替わっているのです。兄と顔を見合わせて、どちらからともなく笑いました。
人生は、自分の努力という変数だけでは、まるで予測できません。夢だった渡米が1年で帰国になったのは、計画が悪かったからではない。ただ、人生とはそういうものなのです。だとしたら、先のことを考えすぎて不安を増やすより、方向だけしっかり見定めて、あとは今日を一生懸命生きるほうが、ずっと理にかなっている。
今を一生懸命生きることが、何より大事。
その朝、日記にそう書きました。言葉にすれば、聞き飽きるほど当たり前のことです。刹那に生きよ、と古くから仏教が説いてきたことでもあります。けれど、38歳になって、やっとその意味を体で感じている気がします。
当たり前のことを、当たり前に
二週間の在宅で分かったことを、飾らずに言えば、こうなります。
当たり前のことをしているだけで、自分も幸せ、家族も幸せ。そんな素晴らしいことはないよな。
家にいて、目の前の家族に向き合う。それだけのことで、家族の安定に寄与できる。逆に言えば、それをしていなかった間の私は、知らないうちに、家族の幸せを削っていたのかもしれません。その事実には、少しへこみました。ただ、まだ手遅れではないタイミングで気づけたことは、素直に大きかったと思っています。へこんだ分は、これから返せばいい。幸い、家族の口座は、貯金と違って、今日の入金が、今日の残高になるのです。夕方の30分が、その日のうちに、娘の機嫌と妻の表情になって返ってくる。こんなに利回りのいい投資を、私は他に知りません。
これは、キャリアをtrimestersで考えるようになったことと、根っこでつながっています。2nd trimesterの目標は、挑戦することです。けれど、挑戦の中身を「仕事の成果」だけで埋めてしまったら、1stと同じ失敗をもう一度やることになる。この13年は、家族と一緒に育っていく13年にする。それも、私の設計図に書き加えました。仕事の挑戦と、家の時間。二つは奪い合う関係に見えて、実は支え合う関係でした。家が安定した分だけ、手術場での集中は、むしろ深くなりました。
診察室から見える、家族の時間
そして、この気づきは、診察室での私を少し変えました。
脳の病気は、ある日突然、家族の「なんでもない時間」を奪います。昨日まで一緒に食卓を囲んでいた人が、救急車で運ばれてくる。私はその場面を、数えきれないほど見てきました。手術で守っているのは、命だけではありません。その人が家族と過ごすはずだった、当たり前の夕方を守っているのだと、いまは思います。
だから、未破裂脳動脈瘤の治療方針を一緒に考えるときも、手術のあとの生活を思い描くときも、私の頭の中には「この方の、家の時間」があります。退院の日、「まず何をしたいですか」と伺うと、皆さん、驚くほど同じことをおっしゃるのです。家の風呂に入りたい。孫と食卓を囲みたい。犬の散歩に行きたい。人が病気の向こうに取り戻したいものは、いつも、なんでもない時間なのです。自分がやっと手に入れた、あの時間の値打ちを知っているからこそ、その願いの重さが、いまは前より分かります。
そして、これを読んでいる、かつての私のような働き手の方へ。二週間の休みは、取れなくて当然です。私も、たまたまの巡り合わせでした。でも、今夜の30分なら、どうでしょう。携帯を別の部屋に置いて、目の前の人の話を、最後まで聞く30分。私の経験では、家族が見ているのは、在宅時間の長さではなく、目が合っているかどうかでした。
おわりに — いちばん大切な日課
いまも、手術や外来で帰りが遅くなる日はあります。この仕事を選んだ以上、それは変わりません。緊急の呼び出しがあれば、夕食の途中でも、私は立ち上がります。家族も、そこは承知の上です。
だからこそ、呼ばれていない日の過ごし方が、勝負なのだと思います。
変わったことが、一つあります。
夕方、白衣を脱いだら、まっすぐ帰る。
それが、いまの私の、いちばん大切な日課です。
