「この症例は難しかった」と、術者が言いたくなる瞬間がある。けれど、本当はその「難しさ」の多くは、症例ではなく「アプローチ」にある。この記事では、クリッピング・バイパス等の開頭手術も、コイル塞栓術等の脳血管内治療も選べる立場の脳神経外科医として、脳動脈瘤手術のアプローチと、私自身への戒めについて、書いてみたい。
「先生のような立場の脳神経外科医でも、難しい手術だった、と思うことはありますか?」
外来でこう聞かれることが、たまにある。
私は、少し考えてから、こう答える。
「思うことは、もちろんあります。けれど、『難しかった』という言葉を、自分の口から出すことは、なるべく避けるようにしています」
その理由は、私自身に対する、ずっと続いている戒めでもある。
「アンラッキー」と言いたくなる時
手術が、思った通りに進まない時。
剥離が難しい時、出血が止まりにくい時、動脈瘤の首が想像と違う時。そういう瞬間は、何百件もの脳動脈瘤手術の中で、何度もあった。
そして、その時、心の中で、ある誘惑が生まれる。
「今回の症例は、たまたま難しい症例だった」
「自分の腕ではなく、症例がアンラッキーだった」
そう思えば、自分の腕への不安が、少しだけ楽になる。
これは、人間の自然な防衛機制だと思う。だから、誰かを責める話ではない。
けれど、私は、こう自問することにしている。
「本当にこの症例は、アンラッキーだったのか?」
そして、たいてい、答えはこうだ。
「いや。私のアプローチが、もしも別の方法をとっていれば、もう少し違う結果になっていたかもしれない」
この自問を続けるうちに、私はある事実に気づくようになった。「自分の症例だけがアンラッキーだ」と感じている時、見過ごしているものが、ある。
そういえば、逆のことを言われたことがある。後輩から、半分冗談で、「先生の症例は、いつもラッキーですね」と。
内心で、呟いた。——そしたら俺、宝くじ買った方がいいよな、普通に考えたら。
運だけで、何百件も「ラッキー」は続かない。もし続いて見えるのなら、そこにあるのは、運とは別の何かだ。
本当の違いは「アプローチ」にある
脳神経外科手術には、「アプローチ」と呼ばれる、最初の数十分から数時間の作業がある。
頭蓋骨を開けて、脳の表面を分けて、目的の動脈瘤や腫瘍まで進む「道」を作る作業だ。
この「アプローチ」の質が、その後の手術全体の難易度を、決定的に左右する。
道がきれいに開いていれば、その先の操作は、信じられないくらい楽になる。視野が広い、血管が見える、自分の手が自由に動く。
術者にとって、これほど嬉しい瞬間はない。アプローチがうまくいったあとの「楽さ」は、それまでの何時間もの準備が、ふっと報われた感覚に近い。
逆に、道の作り方が雑だったり、不十分だったりすると、その先の操作は、全部が「難しい」感じになる。視野が狭い、血管が見えない、手が窮屈、出血が増える。
アプローチの悪い術野では、分けたいところそのものが、押しつぶされて隠れてしまう。見えないものは、分けられない。だから、何もかもが「難しく」なる。当然だ。
そして脳神経外科医は、後者の状態に陥った時、しばしば「この症例が難しかった」と感じてしまう。
その「難しさ」の多くは、症例そのものではなく、自分のアプローチの差から来ている。
脳動脈瘤手術のアプローチの質は、その手術の手術リスクの大半を、術前と術中の最初の段階で決めてしまう。
これは、若い頃の私自身に、何度も言ってあげたかった言葉でもある。
「アプローチ」とは何か
患者さんには、もう少し分かりやすく、こう説明している。
「アプローチ」とは、目的地に行くまでの、道のりの整え方だ。
たとえるなら、暗い森の奥に隠れた家を訪ねるときだ。
最初に懐中電灯を準備し、地図を読み込み、地面を見ながら歩く人と、大体の方向だけ決めて、地面を見ずに突き進む人。
どちらも最終的に同じ家に着くかもしれない。けれど、家に着くまでに何にぶつかったか、どれだけ消耗したか、何を壊したかは、まったく違う。
手術の「アプローチ」とは、暗い森の歩き方に近い。
上手な脳神経外科医の手術が、外から見ると「楽そうに進んでいる」のは、たいてい、アプローチがきれいだからだ。「この人にとっては簡単な症例なんだろう」と思ってしまう症例も、実は、その術者がアプローチを綺麗に行った結果であることが、ほとんどだ。
私は、これに気づくのに、年単位の時間がかかった。
そして、いまも、毎手術ごとに、自分の脳動脈瘤手術のアプローチを疑い続けている。
暗い森の歩き方を学ぶには、何回も歩いてみるしかない。教科書に書ける部分と、書けない部分がある。書けない部分こそが、脳神経外科医の生涯にわたる修行の中心になる。
「難しかった」と、自分の口から言わない
私自身、「この症例は難しかった」と言いたくなる瞬間が、いまでもある。
その瞬間に、こう自問する。
「本当に難しかったのか?それとも、私のアプローチに、もう少し良い方法があったのでは?」
そう問えば、たいていは、後者の側面が見えてくる。
それは、ある意味で、しんどい習慣だ。「自分のせいだった」と認めるのは、毎回少しだけ消耗する。
その消耗の積み重ねが、脳神経外科医の技量を、本当の意味で伸ばしてくれる。
「自分は運がない」「症例がアンラッキーだった」と言い続けると、短期的には心が楽になる。長期的には、自分の中の「アプローチを磨く回路」が、少しずつ眠っていく。
「難しい症例でした」と聞いたら
そして、患者さんに、ひとつだけお伝えしておきたいことがある。
もし主治医の先生が「今回は難しい症例で大変でした」と仰ったとしたら、それは事実かもしれない。むしろ、その正直さは、信頼できる脳神経外科医の徴のひとつでもある。ただ、もしその先生が、毎回毎回同じことを仰っているようなら——もう少し、その言葉の背景を、注意深く聞いてみてほしい。
私が後輩医師たちに、最近よく言うようになった言葉がある。「『難しかった』と言いそうになったら、自分のアプローチを一度疑ってみよう」と。彼らはたいてい、少し考える顔をする。それでよい、と思う。私自身、いまだに、その問いに答え続けているのだから。
そして、私自身、明日も、自分の脳動脈瘤手術のアプローチを疑い続ける。
「難しかった」と、自分の口から言わない——その一点を守れているかどうかが、私にとっては、腕の上手下手よりも、ずっと大事なことなのだ。
参考リンク:脳動脈瘤(Wikipedia) / 日本脳神経外科学会
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