脳動脈瘤の治療では、術者は何を基準に術式を選ぶのか。この記事では、私が術式を選ぶときに自分を戒めていることを、書いてみたい。
外来で、小さな手帳を開きながら話しはじめる方が、ときどき、いらっしゃる。几帳面な字で、病院ごとに、言われたことが書き比べてある。
「ある病院では、開頭で手術しましょうと言われました。でも別の病院では、カテーテルで治せます、開頭なんて古い、と言われて……いったい、どちらが正しいんでしょうか」。
同じ未破裂脳動脈瘤なのに、医師によって、まるで違う答えが返ってくる。患者さんが混乱するのは、当然だと思う。
そういう患者さんは、たいてい、疲れた顔をしておられる。正反対のことを言われて、誰を信じればいいのか分からなくなって、手帳の字ばかりが増えていく。決めきれないまま、時間だけが過ぎていく。
でも、ここには、あまり語られない事情が、ひとつ隠れている。
——その医師は、自分にできる治療を、勧めているのかもしれない。
同じ瘤に、いくつもの道
ひとつの脳動脈瘤を前にして、私たちが取れる道は、ひとつではない。
大きく分けても、四つある。
何もせずに経過を見る「経過観察」。頭を開けて、瘤の根元にクリップをかける「クリッピング」。さらに複雑な瘤には、血管をつなぎ替えるバイパスや、血流を断つトラッピングといった、高度な開頭手術。そして、頭を開けずに血管の内側から治す脳血管内治療——コイル塞栓術、フローダイバーター、WEB。
同じ大きさ、同じ場所の動脈瘤でも、形が少し違うだけで、どの道が最善かは変わる。瘤の首の広さ、血管の曲がり方、患者さんの年齢、持病、暮らし方。そのすべてを天秤にかけて、いちばん安全な道を選ぶ。それが、脳動脈瘤の治療の、ほんとうの入り口だ。
たとえば、瘤の入り口(首)が狭くて、ぷっくりと膨らんだ形なら、コイルが安定して収まりやすく、血管内治療が向くことが多い。逆に、首が広く、そこから大事な血管が枝分かれしているような瘤は、コイルだけでは収まりきらず、開頭してクリップで根元を確実に挟むほうが安全なこともある。形が、道を教えてくれるのだ。
つまり「この病気には、この手術」と、一対一で決まっているわけではない。同じ瘤に、いくつもの道がある。そのなかから、その人だけの一本を選ぶ。
金槌を持つと、すべてが釘に見える
ここで、外科医の正直なところを書いておきたい。
人は、自分の持っている道具で解ける問題を、無意識に探してしまう。
金槌を持つと、すべてが釘に見える、という言葉がある。開頭手術しかできない医師の目には、世界の脳動脈瘤が、少しだけ「開頭で治すもの」に見える。血管内治療しかできない医師の目には、同じ瘤が「カテーテルで治すもの」に見える。本人は、患者さんのために最善を選んでいる、そのつもりで、だ。
これは、誰かが不誠実だ、という話ではない。人間の頭は、そういうふうにできている。だからこそ、こわい。
白状すれば、私自身も、この引力から完全に自由ではない。長く手がけてきた術式のほうが、どうしても「やりやすそうだ」と、心が一瞬かたむくことがある。その傾きに気づいて引き戻すことが、両方を持つ者の、最初の仕事だ。
いま、脳血管内治療は、急速に主流になっている。体への負担が少なく、患者さんにとって良い選択肢であることも多い。その一方で、頭を開ける手術を、確かな手で行える医師は、少しずつ減っている。すると、どうなるか。血管内では治しきれない瘤や、一度治したのに再発した瘤が、開頭もできる一部の医師のところへ、集まってくる。
「カテーテルがあれば、開頭はいらない」。私は、そうは思わない。どちらも要る。要るからこそ、私はどちらの手も、手放さずにいたい。
選べることの、重さ
両方の術式を持つことは、自慢できるようなことではない。むしろ、逃げ場がなくなる、ということだ。
片方の手しか持たない医師は、「私にできるのは、これですから」と言える。それは、ある意味で、楽だ。
けれど、両方を持ってしまうと、その言い訳が使えない。経過観察も、クリッピングも、バイパスも、血管内治療も、すべてが自分の手の中にある。だから、選んだ結果のすべてを、自分で引き受けるしかない。「これしかできませんでした」とは、もう言えないのだ。
だから、術式を選ぶとき、私はいつも自分に問う。「これは、この患者さんにとっていちばん安全な道か。それとも、私がいちばん慣れている道か」。この二つは、似ているようで、ときどき、わずかにずれる。
ほんまに、これでええんか。決めたあとも、その問いは、しばらく私の中に残る。
選べるというのは、その自問を、一例ごとに引き受けるということだ。重い。けれど、その重さこそが、術者の都合から患者さんを守る、最後の歯止めになる。
以前、ある患者さんの瘤は、最初、血管内治療で十分だろうと思われていた。けれど、夜、画像を回して、瘤の首を正面から見据えるたび、引っかかった。首が、思ったより広い。コイルは、入る。入るけれど、数年先、この首のところから、また膨らんでくる姿が、どうしても頭から消えない。何日か、同じ画像の前に座り直した。迷った末、私は開頭を選んだ。負担の少ない道を、あえて外す——それは、両方を見比べられなければ、生まれてこない迷いだった。
あなたの血管が、先に知っている
もし、あなたが脳動脈瘤の治療を考えているなら、主治医の先生に、ひとつだけ確かめてみてほしい。
「私の場合、ほかにどんな選択肢がありますか」と。
その問いに、経過観察も含めて、いくつかの道を、利点と欠点の両方とともに説明してくれる先生は、おそらく、あなたの瘤を「あなたの瘤」として見てくれている。逆に、ひとつの方法だけを「これしかありません」と強く勧める先生なら——別の術式を専門とする医師に、セカンドオピニオンを聞いてみてもいい。セカンドオピニオンは、最初の先生を疑うことではない。あなたの脳を、別の角度の目でも見てもらう、ということだ。ひとつの脳を、いくつもの目で確かめる。それは、わがままでも、失礼でもない。
私が開頭手術と脳血管内治療の両方を手放さずにいるのは、あなたに「こちらしかありません」と言わずに済むためだ。
どの道がいちばんいいかは、たいてい、あなたの血管が、私より先に知っている。私の仕事は、自分の都合をできるだけ脇に置いて、その声を、ていねいに聞きとることだ。
参考リンク:脳動脈瘤(Wikipedia) / 日本脳神経血管内治療学会
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