未破裂脳動脈瘤の中には、教科書に載っていない「珍しい形」を持つものがある。術者はそれにどう向き合うのか。この記事では、教科書どおりでない脳動脈瘤の形態を、開頭手術と脳血管内治療の両方で扱ってきた術者として、初めて見る形の動脈瘤と出会った日のことを、振り返ってみたい。
その日、術前画像を眺めていて、私は息を呑んだ。
動脈瘤の形が、私がそれまでに見たどれとも、違っていた。
60代男性、仮に岡田さん(仮名)とお呼びする方が、健診のMRIで未破裂脳動脈瘤が見つかり、手術相談のためにお越しになっていた。
紹介状にも、画像にも、特別「珍しい」とは書いていなかった。けれど、私が3次元で角度を変えて、何時間も眺めていると、その動脈瘤は、教科書に書かれている標準的な位置と向きとは、明らかに違うところに存在していた。
「これは、想像していた手術と、ちょっと違うことになりそうだ」
そう、心の中で呟いた。
脳動脈瘤の形態は、患者さんごとに本当に違う。年齢、生活、血圧の歴史、遺伝——すべてが、その人の血管に少しずつ刻まれて、最終的にひとつの「形」になる。それを毎回、敬意を持って読むのが、私の仕事のいちばん大事な部分だと思っている。
画像を見て、息を呑んだ日
その方の動脈瘤は、本来あるべきと想定される位置よりも、ずっと深く、奥のほうに存在していた。さらに、ドームの向きが、教科書通りの方向ではなく、横に傾いて、隣の脳の構造物の中に「迷い込む」ようなかたちになっていた。
これを医学用語で簡単に説明すると、A2(前大脳動脈の一部)の分岐部が通常より高い位置にあり、ドームが右側に倒れ込んで、右前頭葉のサルカス(脳の溝)に迷入している、ということになる。
患者さんには、もう少し分かりやすく説明した。
「あなたの動脈瘤は、いわゆる『標準形』ではない場所に、ちょっと変わった向きで存在しています。教科書に載っているような典型例ではないので、私もこの形は、ほとんど初めて見ます」
その方は、真剣な顔で聞いてくださった。
「先生、初めて、ですか」
「ええ、初めてに近いです。けれど、それは『難しい』とは、必ずしも同じ意味ではありません。むしろ、初めて見るからこそ、何時間もかけて、入念に計画させてください」
彼は、ゆっくり頷いて、こう仰った。
「先生が、入念に計画してくださるなら、お願いします」
その言葉に、私は背筋を伸ばした。
脳動脈瘤の形態は、術者にとって、その人だけの「言語」のようなものだ。同じ言葉を話す人がいないのと同じで、同じ形を持つ動脈瘤も、ほとんど存在しない。だから、毎回、初めて聞く言語を学ぶように、ゆっくり読むしかない。
教科書に、書いていない形
医学の教科書には、何万例という積み重ねから生まれた「平均的な形」が書かれている。
けれど、平均でない症例も、たまにある。
脳動脈瘤の形態がどれくらい多様か——それを語る言葉を、私はあまり持ち合わせていない。何百例見ても、まだ尽きない。それが、この仕事の難しさであり、面白さでもある。
その方の動脈瘤は、私が長年経験してきた範囲でも、何年かに一度、出会うかどうかの珍しい形だった。
こうした「珍しい形」に対して、術者は何をするか。
第一に、何度でも、画像を見直す。標準形を扱う時の倍以上の時間をかけて、その人だけの解剖を頭の中に立ち上げる。
第二に、複数のアプローチを想定する。一つの道筋ではなく、AプランとBプラン、場合によってはCプランまで、頭の中に持って手術に臨む。
第三に、必要なら、別の方法も検討する。今回の場合、脳血管内治療という選択肢も含めて、改めて天秤にかけ直した。コイル塞栓術や、フローダイバーター、あるいはWEBという選択肢も、それぞれの手術リスクを比較しながら、何度も検討した。
怖くなかった、と言えば嘘になる。初めて見る形は、単純に、怖い。ただ、長くこの仕事を続けてきて分かったのは、その怖さは準備の量でしか薄まらない、ということだ。だから、怖さが薄まるまで、画像を回し続けた。
そして最終的に、開頭手術で、入り口の角度を工夫しながら進む方針を選んだ。
それが、その方にとって、最も安全な道だと、私は判断した。
想像と、現実
手術当日。
手術室は、静かだった。吸引の音と、モニタの規則的な電子音だけが、時間を刻んでいた。頭蓋骨を開けて、顕微鏡の倍率を上げながら、計画した角度で、少しずつ深く進んでいく。
そして、ようやくその動脈瘤が、目の前に現れた。
想像と、現実は、近かった。私が術前画像で何時間もかけて立ち上げた頭の中の地形と、実際の脳の中の景色が、ほとんど一致していた。
その一致を確認した瞬間、私は「あ、これで行ける」と、内側で深く息を吐いた。
入念な準備の意味は、こういう瞬間に立ち現れる。
それでも、すべてが想像通りだったわけではない。動脈瘤の首の、最後の細かい部分は、画像では完全には分からなかった。実際に視野に入った時、その「最後の数ミリ」だけは、私の頭の中の地形にはなかった。
そこは、その場で判断するしかない。
幸い、私は「もう一つの道」を頭に持って入っていた。指の動きを、わずかに変える。呼吸をひとつ整えて、クリップを、ゆっくり閉じる。閉じ切った瞬間の、小さな、確かな手応え。——無事に、掛かった。
「初めて見る形」にも、過去のいくつもの経験は、必ずどこかで応用が利く。それを、改めて実感した日だった。
いまも、初めて見るような気持ちで
長年脳神経外科医をやってきても、いまだに、初めて見る形の動脈瘤に出会うことがある。
それは、私にとっては、嬉しい驚きでもある。
「もう全部見た」と感じた日が、外科医として、いちばん危ない日だ。「まだ見たことのない形がある」と思っていられるうちは、自分の頭が動いている証拠だ。
脳動脈瘤の形態の多様さは、私が生きている間には、把握しきれないのだろう。だから、まだ見たことのない形に出会えることを、私は、ささやかに楽しみにしている。
あの患者さんは、手術後、後遺症もなくご退院になった。外来でお会いするたび、「先生、本当にありがとうございました」と仰ってくださる。
私は、毎回、内心で思っている。
「いえ、こちらこそ、ありがとうございました。あなたの解剖は、私の経験を、また一つ、深くしてくれました」
初めて見る形に出会うたび、私の中の何かが、また少し若返る。年齢を重ねるというのは、脳神経外科医にとって、そういうことでもあるらしい。
参考リンク:脳動脈瘤(Wikipedia) / 日本脳神経外科学会
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