脳動脈瘤の鍵穴手術で術者が見る「5センチの中の宇宙」を思わせる、内側から光が漏れる小さな鍵穴

5センチの宇宙

脳動脈瘤の鍵穴手術——5センチの切開で、術者は何を見ているのか。この記事では、鍵穴手術による開頭手術からフローダイバーター・WEB等の脳血管内治療までを、症例ごとに使い分ける脳血管内治療専門医として、現代脳外科の進歩と「鍵穴の中の宇宙」について、書いてみたい。

先日、外来でひとりの患者さんから、こう聞かれた。

「先生、手術になると、髪は全部剃るんですよね?」

私は、笑顔で答えた。

「いえ、まったく剃りません。5センチほどの幅で、髪をわずかに分けるだけです」

その方は、しばらく言葉を失っておられた。それから、こう仰った。

「私、ずっと、頭をツルツルにされるんだと思って、覚悟していたんです」

そう言って、その方は、自分の髪にそっと手をやった。診察室の空気が、ひとつ、ゆるんだ。

その表情を見て、私は改めて、「現代の脳神経外科は、想像以上に進歩している」ということを、もっと患者さんに伝えるべきなのだと感じた。

5センチの切開で、その奥に広がる宇宙を、私たちは見ている。

「手術=大きく切る」は、もう昔の話

私が脳神経外科を学び始めた頃、教科書には、頭蓋骨に大きな窓を開ける標準的な開頭手術が、当たり前のように図示されていた。皮膚切開は10〜15センチ、頭骨は手のひら大に開けて、視野を広く確保する——それが「正しい手術」だった。

今は、違う。

部位にもよるが、手術の種類によっては、皮膚切開は5センチ弱。頭蓋骨は、ピンポン球も入らないんじゃないか、というサイズしか開けない。これを、私たちは「鍵穴手術」と呼んでいる。

それでも、奥の病変は、ちゃんと見える。

なぜ可能になったのか。簡単に書くと、3つの進歩が重なった。

顕微鏡の技術が進化した。今の手術顕微鏡は、角度を自由に変えながら、深い場所でも極めて明るい像を映し出してくれる。

頭の中の「地形を読む」術前画像が、はるかに精密になった。CTもMRIも、3次元で頭の構造を立ち上げてくれる。それを術前にいくらでも回せるので、入り口を最小にする計算ができる。

術者の技術が、世代を超えて積み上がってきた。狭い入り口から、深く、繊細に進む。その積み重ねが、いまの鍵穴手術の標準を作った。

これは、最小侵襲(さいしょうしんしゅう)医療というジャンルの大きな成果だと思う。患者さんへの負担を、できる限り小さく。けれど結果は、最大限に。

現代の脳神経外科における鍵穴手術は、この3つの進歩の上に立っている。20年前なら不可能だったことが、いまは当たり前のように行われている。

5センチの中の、宇宙

5センチの皮膚切開。その下に、3〜4センチの頭骨の窓。さらにその下に、奥行きで5〜10センチの脳の構造物。

つまり、術者は、わずか数センチ四方の入り口から、その奥行きすべてを扱う。

これを患者さんに説明する時、私は「鍵穴から宇宙を覗くようなものです」とお話ししている。

実際、その通りなのだ。

鍵穴の入り口は、本当に小さい。けれど、覗き込んだ先には、想像以上の広がりがある。顕微鏡の角度を10度変えるだけで、見える景色がガラリと変わる。

手術中、顕微鏡を、わずかに傾ける。さっきまで視野の壁だった脳の表面が、すっと脇へ退いて、その奥から、目的の構造物が姿を現す。入り口は、何も変わっていない。角度だけが、変わった。この、機構と手と目が噛み合う瞬間が、私は昔から好きだ。

たとえば、円蓋部から半球間裂(インターヘミ)に入って、10度開けば、脳腫瘍の全体が見える——これは、昔なら大開頭でないと得られなかった視野だ。

「狭くて、全部見える」。手術室で、私がよく口にする言葉だ。

技術と経験が、その「10度」を、可能にした。

顕微鏡の中で、私が見ているのは、5センチの入り口の奥に広がる、その人だけの脳の地形だ。橋渡し血管の走り方、脳の溝(しわ)の角度、脳腫瘍の広がり方。そのすべてが、その方の「宇宙」を形作っている。

鍵穴の中に、たしかに、宇宙がある。

それでも、変わらないもの

ただし、これだけは強調しておきたい。

鍵穴手術が可能になったからといって、脳神経外科医の責任が軽くなったわけではない。

むしろ、入り口が小さくなるということは、ミスの許容範囲が、より小さくなるということだ。

大きく切って広く視野を取れる手術なら、操作の自由度がある。何かトラブルが起きても、視野を広げ直して対応できる。

鍵穴手術では、その「逃げ」が、より少ない。最初から、最後まで、限られた窓の中で勝負を続ける。だから、術者の手の精度と判断は、より厳しく要求される。

「傷が小さい=簡単」では、まったくない。「傷が小さい=術者の技術と判断にすべてが委ねられる」のだ。

そして、すべての症例が鍵穴手術に向くわけでもない。動脈瘤の位置や大きさ、周囲の血管との関係、患者さんの解剖の個別性によっては、あえて標準的な大きさで開けたほうが安全な場合もある。

その判断に、私は術前、何時間もかけている。鍵穴で行けると判断したら鍵穴を選ぶ。標準開頭が安全と判断したら、無理に鍵穴にこだわらない。あるいは、開頭ではなく脳血管内治療を選ぶこともある。患者さんの手術リスクを最小化することが、いちばん大事だからだ。

だから、私のもとに来られる患者さんには、必ずいくつかの治療選択肢を提示する。経過観察、脳動脈瘤の鍵穴手術、標準的な開頭クリッピング、バイパスを伴う高度な開頭手術、そして脳血管内治療まで。ひとりひとりに対して、その方の動脈瘤と暮らしに、いちばん合う道を、一緒に選ぶ。

私たちは、患者さんの傷を最小にできるようになった。けれど、自分自身に課す責任の重さは、むしろ昔より大きくなった、と感じている。

明日も、5センチに向き合う

私が脳神経外科医として今日この場所に立っていられるのは、世代を超えて、何人もの先輩外科医が、少しずつ「常識」を更新してきてくれたおかげだ。

20年前の常識を、今日もそのまま使っていたら、私は患者さんの頭に、もっと大きな傷を残していたはずだ。

その積み重ねの上に、いま、私は5センチの皮膚切開で手術を始められる。

外来で「まったく剃りません」とお伝えして、患者さんが少しほっとされる、その表情を見るたびに、私は先人たちに感謝している。

明日も、私は5センチに向き合う。

その5センチの中の宇宙で、ひとつの動脈瘤と、最大限の敬意を持って向き合う。それが、現代の脳神経外科医に与えられた、過去への報い方なのだろう。

参考リンク:脳動脈瘤(Wikipedia)日本脳神経外科学会

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脳神経外科医 井上靖章

井上靖章(いのうえ やすあき)

脳神経外科医・医学博士。日本脳神経外科学会専門医・指導医、日本脳神経血管内治療学会専門医、日本脳卒中学会専門医。京都大学医学部卒業。米国メイヨークリニックでの研究研修、ハーバード大学医学部ブリガム&ウィメンズ病院フェローを経て、湖東記念病院 脳神経外科部長。開頭手術と脳血管内治療の両方を自分の手で行う「二刀流」の脳神経外科医。治療方針は、開頭手術・脳血管内治療・経過観察のすべてを並べて示すことを原則としている。

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