未破裂脳動脈瘤の治療選択——脳動脈瘤クリッピング、バイパス・トラッピング等の高度な開頭手術、脳血管内治療(コイル塞栓術・フローダイバーター・WEB等)、経過観察。術者は何を天秤にかけて判断するのか。この記事では、これら全てを駆使する脳神経外科医として、私が「手術しない」と決めた一例の手術リスクと迷いを、振り返ってみたい。
正直に言うと、手術をしないと決める判断ほど、神経を使うものはない。
数年前、未破裂脳動脈瘤が見つかったという60代の女性、仮に佐々木さん(仮名)とお呼びする方が外来にいらっしゃった。
「先生、手術していただけますか」
そう仰った彼女に、私は最終的に「経過観察にしましょう」とお答えした。
未破裂脳動脈瘤の経過観察——その短い一言を口にするまでに、私は、自分でも驚くほど時間をかけた。
その日のうちにそう言ったわけではない。何度もカンファレンスにかけ、画像を眺め、夜遅くまで頭の中であの瘤の形を回した。今振り返ると、手術するほうが、ある意味では楽だったのかもしれない、とも思う。
「手術しない」という言葉を患者さんに伝えるのには、ある種の覚悟がいる。手術をする覚悟と、しない覚悟。私はこの方を通して、それが同じくらい重いのだと、改めて知った。
「先生のお身内だったら、どうされますか」
その方は、ご主人を数年前に亡くされていた。お子さんはおらず、お一人で暮らしておられた。動脈瘤は5ミリ。形は比較的整っていて、目立ったふくらみもなかった。
数字でいえば、年間の破裂率はおよそ1パーセント前後。決して低くはない。けれど、決して高いとも言い切れない、そんな数字だった。
それでも、外来でその数字をそのまま伝えるわけにはいかなかった。
「100人のうち99人は、1年では破裂しません」とも言えるし、「100人のうち1人は、破裂します」とも言える。同じことを言っているはずなのに、伝え方ひとつで、患者さんの背中にかかる重さが変わる。
私は、彼女の毎日を想像していた。
朝、新聞を取りに玄関まで歩く。仏壇に水を上げる。買い物に行き、家計簿をつける。夜は、テレビを少しだけつけて眠る。
その暮らしの中に、「破裂するかもしれない」という影を、医師である私が静かに置いていく。そのことが、本当に彼女のためになるのか。私は何度も自問した。
一方で、治療そのものにも、合併症のリスクがある。頭を開けてクリップをかける開頭手術も、カテーテルでコイルを詰める脳血管内治療も、決して魔法ではない。出血、脳梗塞、麻痺、人格の変化。確率は低くても、ゼロではない。そして「低い」というのは、誰かにとっては必ず起きるということだ。
カンファレンスでは、若い医師から「手術してもいい大きさです」という意見もあった。ガイドラインの上では、確かにそうだった。私自身も、そう傾いた瞬間が何度かあった。
でも、最後まで迷ったのは、ガイドラインの数字ではなかった。
「自分の母親なら、手術するか」
これは、ずるい問いだ。患者さんをご家族に置き換えてしまうのは、本当はあまり医学的ではない。けれど、決め切れないとき、私はこの問いに戻ってしまう。
——母なら、たぶん、私は様子を見ると言うと思う。
そう思った瞬間に、答えが少しだけ、見えた気がした。
外来でその話をしたとき、彼女はしばらく黙っておられた。それから、こう仰った。
「先生、もし、先生のお身内だったら、どうされますか」
私は、正直に答えた。
「私の母であれば、おそらく経過観察を選びます。ただ、それは私が、母の生き方を知っているからです。あなたの生き方は、あなたがいちばんよくご存じです」
その日、彼女は「先生の言うとおりにします」とは仰らなかった。「もう少し考えます」と仰って、薄い手帳を鞄にしまって、外来を出ていかれた。
正解を渡さない外来というのは、医者にとってもしんどい。「先生が決めてください」と言ってもらえると、楽になる瞬間が、正直、ある。
けれど、決めるのは、本当はいつだって患者さん自身であるべきだと、私は思っている。
数週間後、その方はもう一度外来に来られて、「経過観察でお願いします」と静かに仰った。私は「分かりました」と答えながら、もうひとつの恐れと、内側で向き合っていた。
——もし、これから先、破裂したら。
未破裂脳動脈瘤の経過観察というのは、患者さんを毎年お預かりすることだ。半年に一度、一年に一度、MRIを撮って、形が変わっていないかを確かめる。その間、患者さんは「破裂するかもしれない」というものを、わずかに背負いながら生活する。それを安全に背負っていただくのが、私たちの仕事だと思っている。
手術をしないと決めた日からしばらくの間、私は彼女のMRIを毎回、いつもより少し丁寧に見ていたように思う。
あれから何年か
あれから何年か経って、彼女は今もお元気でいらっしゃる。動脈瘤は大きくなっていない。外来でお会いするたび、「先生のおかげです」と仰ってくださるが、私は毎回、少しだけ気まずいような気持ちになる。
私は、何かを「した」わけではない。手術をして、瘤を消したわけでもない。ただ、未破裂脳動脈瘤の経過観察を、一緒に続けているだけだ。
それでも彼女が「おかげです」と言ってくださるのは、決断のあのとき、私が逃げなかったということを、彼女が感じてくださっているからなのだと思う。
振り返ると、あの頃、もしかしたら手術をしたほうが、自分の心はずっと楽だったかもしれない、とも思う。手術をして、瘤を消してしまえば、その後の「もしも破裂したら」という影は、患者さんからも医師からも、ひとまず消える。
でも、それは医療として正しいこととは、限らない。
脳神経外科医の仕事は、手術をすることだと思われがちだ。実際、その腕は問われるし、磨かなければいけない。けれど、本当はそれと同じくらい、「どこで手術をしないか」を決めるのが、私たちの仕事だと、今では思っている。
手術をすると決めるのも、怖い。
しないと決めるのも、同じくらい怖い。
その両方の怖さを引き受けながら、患者さんと向き合うこと——たぶん、それが誠実ということなのだと、最近はよく考えている。
外来で迷っておられる患者さんに、私は今もよく言う。
「結論を急がなくていいですよ」
そう言いながら、本当は、自分自身にも言い聞かせているのかもしれない。
「手術しない」と医師が言ったとき
手術室の中だけが、脳神経外科医の戦場ではない。
外来の机の前、夜中のカンファレンス室、画像の前で立ち止まる数十秒——そういう、誰にも見えない時間にこそ、たくさんの判断が静かに積み重なっていく。
患者さんに伝えたいことがあるとすれば、ひとつだけだ。
「手術しない」と医師が言ったとき、それは、何もしていないということでは決してない。むしろその医師は、いちばん長く、いちばん深く、あなたのことを考えている。
未破裂脳動脈瘤の経過観察という選択は、医師にとっても、患者さんにとっても、これからずっと続いていく時間との約束だ。
私自身、今でも、あの患者さんのMRIを見るたびに、あの日の決断を反芻する。怖さは、消えない。けれど、その怖さがある限り、私は患者さんから目を逸らさずにいられると、信じている。
参考リンク:脳動脈瘤(Wikipedia) / 日本脳神経外科学会
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