脳神経外科医の「道具に頼らない」という美意識を思わせる、机に置かれた使い込まれた一本の手術用ハサミ

道具に頼らない、ということ

脳神経外科の技術は、最新の道具にどこまで依存するのか。この記事では、クリッピング等の開頭手術も、フローダイバーターやWEBといった新しいデバイスによる脳血管内治療も駆使する脳神経外科専門医として、私が大切にしている「道具に頼らない」という美意識と、手術リスクへの向き合い方について、書いてみたい。

医学の世界には、新しい道具が、毎年のように登場する。

その多くは、本当に素晴らしい。手術の精度を上げてくれる、患者さんへの負担を減らしてくれる、見えなかったものを見せてくれる。私自身、最新の器械の恩恵を、何度も受けてきた。

けれど、その一方で、私の中には、ひとつのささやかな矜持のようなものが、ずっとある。

「特殊な道具がなくても、自分の腕で、患者さんを治せる脳神経外科医でありたい」

腕自慢をしたいわけではない。どちらかと言えば、その逆の話だ。

道具と腕の関係は、職業上のごく実用的な話のようでいて、実はもっと深いところで、外科医の哲学に関わる話でもある。

「この道具がないと」と言いたくない

何年か前、若い後輩が、ある手術の途中で、こう言った。

「先生、この症例、ちょっとあの器械があれば、もっと楽にできたんですけどね」

その言葉自体は、悪気のないものだった。実際、もしその器械があれば、もう少し操作が楽になったかもしれない、という事実もあった。

ただ、私は、少しだけ気になった。

「ちょっと特殊な器械があれば」「あの設備があれば」と言いたくなる気持ち。それを私たち脳神経外科医は、注意深く扱わなければならない。

なぜなら、その言葉のすぐ後に、「だから、できなくても仕方ない」という諦めが、忍び寄ってくるからだ。

私が研修医の頃にも、同じような場面で「この器械がなければ無理ですね」と言う先輩を、何度か目撃してきた。それを聞くたびに、若い私は、心のどこかで違和感を覚えていた。本当に無理だったのか?それとも、その人の中で「無理」という言葉が、少し早く出てきていただけではないか?

その諦めの先には、患者さんが置き去りにされる瞬間がある。

道具と腕の関係

最新の手術器械には、目を見張るものがある。特殊なマイクロ剪刀も、高解像度の顕微鏡も、複雑な血管の形態でも使用できるカテーテルデバイスも、私たちの手の延長として、よく働いてくれる。

私自身、こうした器械の進歩には、いつも感謝している。手術リスクを下げてくれた道具の数は、数え切れない。

けれど、長年脳神経外科をやってきて、ひとつ確信していることがある。

「この器械があるから、この手術ができる」と言い始めた瞬間に、脳神経外科医は、何かを失う。

逆に、「自分の腕で、できるところまでやる。器械はその上で、より楽になる助けに使う」と思っている時のほうが、手の動きは揺れない。

道具は、腕の代わりにはならない。道具は、腕の延長として、はじめて役に立つ。

脳神経外科の技術は、この順番を間違えないことに懸かっている。

脳神経外科の技術が本当に育つのは、「道具に助けられた」と感じる手術ではなく、「自分の腕でなんとかした」と感じる手術の積み重ねからだ。後者の経験が、何年も後に、急に手元の繊細さに反映してくる、と私は感じている。

ハサミ一本で、考える

私が、若い後輩に時々言う言葉がある。

「困った時に、ハサミ一本でできるか、を考えてみよう」

手術室では、もう少し直接な言い方になることもある。「普通のハサミで、絶対できるようになった方がいい。できるから」。実際、私の剥離操作の大半は、いまも普通のマイクロ剪刀——要するに、ハサミだ。

これは、本当にハサミ一本で手術をしろ、という意味ではない。器械を否定する話でもない。

そうではなく、「もし、すべての特殊な器械が手元になくなったとして、それでも自分はこの手術ができるか」を、頭の中で何度も問い直してほしい、という意味だ。

その問いを持ち続けることで、脳神経外科の技術は、道具に依存しない方向に磨かれていく。

私自身、いまでも、その問いを毎手術前に、頭の中で繰り返している。

「もしすべて持っていないとしたら、私はどう手術するか」

その答えが、自分の中にあるかどうか。それが、本当の意味での「腕」だ。

それは、いまも、十分にできているとは言えない。だから、毎回、自分に問い続けるしかない。

何年か前、ある手術中に、ふっと停電が起きて、最新の電動器械が一斉に止まったことがあった。モーター音が、すっと消える。照明が一度、瞬く。一瞬、手術室全体の空気が凍りついたのを、いまでも覚えている。数秒の、長い静けさ。

けれど、私の手元には、手動でも操作できる基本的な器具が残っていた。私はそれを使って、手術を最後まで続けた。あの時のことを思い出すたび、「ハサミ一本で」という問いを毎手術前に繰り返してきてよかった、と思う。

どこへ呼ばれても

なぜ、ここまでこだわるか。

医師は、キャリアの中で、いくつもの施設を渡り歩く。私自身、これまでも、たくさんの病院で手術をしてきた。

施設によって、ある器械はあったり、なかったりする。「最新の特殊器械」をすべて揃えている施設は、実は、それほど多くない。

そんな時に、「この器械がないので、この手術はできません」と患者さんに言うのは、医師として、私は恥ずかしいと思う。

患者さんは、施設を選んで病気になるわけではない。夜中に救急車がどの病院へ向かうか、運ばれた先にどんな器械が揃っているか——そんなことは、選べない。たまたまその病院に、運ばれただけだ。

その時に、医師ができることは、「目の前にある道具で、目の前の患者さんを、ベストの形で治す」ことだ。

これは、世界中どこの脳神経外科医にも共通する、職業の本質の話だと、私は思っている。最新の器械が揃っていない場所でも、優れた医師たちは、自分の腕で患者さんを治す。私はそういう人たちに、いつも敬意を抱いてきた。

「どこへ呼ばれても、自分の腕で、患者さんを治せる」——それが、私が脳神経外科医として抱き続けている矜持だ。

これは「どこでもすごい」という話ではなく、自戒の話だ。

その問いを手放さないこと。それだけが、道具の進歩に飲み込まれずにいるための、ひとつの背骨になる。

参考リンク:脳動脈瘤(Wikipedia)日本脳神経外科学会

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脳神経外科医 井上靖章

井上靖章(いのうえ やすあき)

脳神経外科医・医学博士。日本脳神経外科学会専門医・指導医、日本脳神経血管内治療学会専門医、日本脳卒中学会専門医。京都大学医学部卒業。米国メイヨークリニックでの研究研修、ハーバード大学医学部ブリガム&ウィメンズ病院フェローを経て、湖東記念病院 脳神経外科部長。開頭手術と脳血管内治療の両方を自分の手で行う「二刀流」の脳神経外科医。治療方針は、開頭手術・脳血管内治療・経過観察のすべてを並べて示すことを原則としている。

プロフィール・実績の詳細 / 「手術室より」の記事一覧 / X(@yasuaki_neuro)

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